ダメージ
川崎ゆきお
菊田政幸はもう二度と使ってもらえないと思った。 放送局の高台を下る足取りは上り坂のように重い。 討論会での言葉が何度も何度もリピートした。 相手は高校生だが、そこは校内や講演会ではない。 菊田はそれを早く認識すべきだった。 素人の未成年者に言い負かされている映像は全国のテレビに流れるはずだ。 幸い、生放送ではないので、うまく編集されることを望んだ。 菊田には不登校やいじめに関する著作がある。本職は在野の児童心理学者だ。 作文コンクールの審査員を三十年近く続けており、収入源のほとんどは講演によるものだった。 著書は数冊出しているが同じ出版社からで、出版費用は全額菊田が負担していた。売るのが目的ではなく、講演に呼ばれやすくするためのアクセサリーだった。 先程の収録シーンが何度も頭の中で回転する。 いじめられないためには戦略や戦術が必要だと、専門家としての意見を、見下ろす感じて語った。 喋りながら空気が変わるのを感じた。 この討論会には司会者がいない。 ゲストの菊田をフォローする局側の人間はいない。 若者とゲストとのトーク番組ではなく、ゲスト一人が加わっただけの討論番組なのだ。 若者達の延長線上に菊田はいない。若者達がなりたいと思う大人像から菊田は外れている。 断定的な物言いで、教説を唱えるだけの説教臭い親父像がその日の菊田だった。 学校や講演会やイベントでは問題はなかった。青少年の心的世界に関しては専門家であり、社会もそれを認めていた。 しかし菊田が相手出来るのは病んだ子供達で、今日のような普通の高校生や十代の若者ではなかった。 菊田はスタジオに入ったとき、若者の輝く瞳や、はつらつとした顔色を見て、まずいと思った。 子供達は受け入れてもいい大人と、そうでない大人とを直感で見抜く。 討論会はいじめがテーマになっていた。それに関しての論理パターンを菊田は熟知しており、聞かれればあらかじめ用意している作文がある。 相手は専門家ではなく、当事者に近い子供だ。楽な相手だと勘違いした。 収録前からも菊田に話しを向ける若者は一人もいなかった。 このままでは無言で番組が終わると焦り、いじめの解決策をいきなり口走った。 それはライフワークとしている菊田のいじめられないためのマニュアルだった。 いじめられないための戦略と戦術だった。 解決策にはなるかもしれないが、若者達が持つ、うねるようなエネルギーはそんな小細工では我慢出来ないようだった。 菊田は自分の発言が相手に跳ね返され、そして弾かれていることを知ったとき、テレビ出演のリスクを感じた。 菊田は話の流れに乗せてもらえない状態、つまり無視され続けた。 若者たちは菊田を必要としていないようで、ゲストという特権も司会者がいないことで、フォローもなかった。 討論会は菊田を無視したまま収録を終えた。 若者の熱気や勢いだけの意見の方が、菊田の姑息な意見を沈黙させるだけの説得力があった。 菊田は嵌められたのではないかと感じたほどだ。 現実社会の中では菊田は強かった。尊敬もされ、学校や保護者からも信頼されていると思っていた。 その番組は世間や社会とは切り離された空間だったのだ。 そこでは説得力のない言葉は反論を受けるか無視される。 若者達は、そこで痛い目に遭うのは覚悟の上での出演だった。 菊田はいじめられている子供をフォローするための発言に失敗した。 いじめられている若者の態度を攻撃していた同席の若者の意見に、最後はそのいじめられている若者は心を動かし始めた。 それは菊田式と呼ばれる戦略的いじめ回避法ではなく、よりダイレクトな気持ちのぶつけ合いでの対決方法だった。 菊田はそれが出来ない子供達のための特効薬を処方していた。 その処方箋では保護者は納得出来るが、飲まされた子供は副作用を被ることになる。 菊田はタクシーの深い座席に腰を下ろした瞬間、かなり深手を負っていることを自覚した。 了 2005年7月30日 |