定年後のビジョン
川崎ゆきお
益田は、生きる目的が分からなくなった。
以前、考えたことはあるが、それが古くなったのか、対応しなくなっていた。
益田は定年が近い。まだ先なのだが、数年先に迫っている。この年齢の一年は早い。若いころの三分の一ほどになっている。
だから、あっと言う間だ。
会社を定年まで勤め終えることは計画の中にある。無事勤まれば、他の選択を考える必要はない。
そこまでは予定通りだ。
だが、定年後については何も考えていない。経済的には問題はない。あるのは生きがいなのだ。
もう年寄りになるのだから、将来とか、生きがいとかは、適当でいいと思っていた。
もう充分生きがいのある人生だった。
若いころ考えていた将来とは定年までのことで、その先の生きがいまでは心配していなかった。
定年後はのんびり過ごす程度の生き方プランで、その中身は楽しんで考えればよいことだった。
「趣味とかあるでしょう」
「趣味を生きがいにはできないなあ」
「どうしてですか」
「どうでもいいことじゃないか。趣味なんて道楽だろ。なくてもかまわない」
「でも、好きなことをして、過ごすのは羨ましい限りですよ」
益田は趣味がなかった。
「もっと有意義なことをしたいなあ」
「じゃ、また働けばいいんじゃないですか」
「いや、もう充分働いたよ。やりたくない仕事を無理にね。もう、やりたくないよ」
「益田さんも難民ですねえ」
「退社難民かね」
「悠々自適なはずなんでしょうがね」
「違うのか」
「彷徨ってますよ。目的喪失で」
「だから、やらないといけない目的がなくなり、楽なはずなんだけどなあ」
「やはり、生きがいの問題ですね」
「まあね」
「まあ、そんなことを考えているうちに、頭もぼけ、体も動かなくなりますよ」
「だから、早い目に考えておいたほうがいいんだ」
「定年まで何年でした?」
「三年だ」
「そうか、それは、いよいよですねえ」
「新しいことをやる気力もないしね。趣味もない」
「いいじゃないですか。何もしないで、一日過ごすのも」
「ああ、そうなるだろうね」
了
2008年03月20日