町並み記憶
川崎ゆきお
「それは幻想の町でしょ」
「いや、だから、あったんですよ」
「それが幻想なのです。あなたは幻想を見たのです」
「古い町並みが残っているのです」
「A町駅前でしょ」
「はい」
「その駅裏には確かに古い家並みが残ってましたよ。私も近くなので、通ったことがあります。でもね、区画整理で去年の秋になくなってますよ。マンションが建ち、広い公園もできています。あなたが行ったのは昨日でしょ。だからそれはありえない。ありえないものを見たわけですよ」
「でも、あったんです」
「そうですね。だから幻想、幻覚なのですよ。錯覚とか、見間違いではありません」
「じゃ、僕が歩いたあの家並みは何だったのでしょう。道端に三輪車が置き去りにされ、通りの路肩には洗濯物や、布団が干され、キャッチボールする子供たちが…」
「幻想や幻覚ならいくらでも絵は作れます。あなたのイメージの問題なのです。町の問題じゃない」
「じゃ、この体験は何でしょう」
「本当にそんな体験をされたのですかな?」
「僕がウソを言う必要は一つもありません」
「精神的に病んでいる証拠にはなるでしょ」
「そんな不名誉な証拠など必要ではありません」
「まあ、不名誉は言い過ぎとしても、幻覚症状があることになります」
「どうしてそれを幻覚だと決めつけるのですか」
「常識の水平があります。それが傾いているかどうかは、誰が見てもはっきりしている場合があります。主観の相違とかではなく、ある一線を越えていることです」
「では僕は異常者なのでしょうか」
「あなたも、そんな町が存在していたなどとは思えないはずです。そのレベルの常識は認められるでしょ。古い町並みは取り壊され、新しい町になっている」
「それを知らなかったのです」
「はあ?」
「まだ、こんな古い町並みがあると思いながら通り過ぎたのです。以前の風景は知りません」
「では、その町並みの様子をもっと詳しく話してください。私はあの町をよく知っていた」
「はい。民家のような乾麺工場があり、真っ黒な煙突が立ってました。その隣は薬局で、ライオンの絵が描かれた看板でした」
「あなた、それ、どうして知ってるのです?」
「昨日通ったからです」
「あ、はい」
了
2008年03月21日