小説 川崎サイト



忘れた

川崎ゆきお



 男はいつもこの時間、そこを通っている。
 夜の十時。グランド前だ。
 そのグランドは学校の運動場。
 男はその前で立っている。
 少しほろ酔い加減なのは、一杯飲み屋からの帰り道のため。
 定期バスのように、毎晩同じ時間に通っていた。
 立ち止まったまま一分経過。
 男はグランドの方を見ている。
 男の横を自転車が通り過ぎる。
 歩行者も通り過ぎる。
 暑くも寒くもない秋の夜。ただただ歩道で立つ男。
 やはり、それは不審者だろう。
 その男に注目したのは、会社帰りのお父さん。歩道の前方でずっと立ち止まる男が気になった。
 近付くと男の横顔が見える。
 その顔はやや上を向いており、何か一点を見つめている。
 何かを見ているのか、あるいは考え事でもしており、目が偶然そこにあるのか……。
 会社員は男の真横に来た。
 男は頓着しないで視線はそのまま。
 会社員は男の横を擦り抜けた。
 妙な男と関わりたくなかった。
 男は普段着姿で手ぶら。特に怪しい身なりではない。近所の人かもしれない。
 誰かを待っているのかもしれない。
 会社員は振り返り、もう一度男の横に近付いた。
 何か情報が得たかった。気になったと言ってもよい。
 男は会社員よりも、グランドが気になるらしい。
 会社員は男が見ているものを見ようとした。
 真横に来て立ち止まった会社員に対し、男はさすがに反応した。
 会社員はその反応を受け皿に、ここで何をしているのかと尋ねた。
 男はグランドの上を指差した。
 それは四階建ての校舎。
 四階部分の教室が明るい。
 男はそれを見ていたのだ。
 会社員は立ち止まって見るようなものではないと思った。
 男はまだ見続けている。
 会社員はそこで立ち去ってもかまわなかった。教室の電気がついているだけのことでしかない。
 会社員は意味が知りたくなり、聞いてみた。
 夜の十時を過ぎている中学校の教室が明るいのは不思議だと男は答えた。
 その二人の横に老人が加わった。
 老人も四階の明かりを見ている。
 グランド前の通りに面した家のドアが開き、中学生が様子を見ている。
 会社員が四階の窓を指差す。
 中学生も仲間に加わる。
 四階の明かりは三年四組の教室だと教える。
 中学生の母親も出て来る。
 歩道を走って来た自転車が、その集団を避けようと車道に出る。
 次に来た自転車は、集団の手前で止め、やじ馬の中に加わる。
 中学生親子の隣家から、ジャージ姿の親父が出て来る。
 校内で何かあったのではないかとジャージ親父が言い出す。
 最初の男はずっと見続けているが、人が動いたりする気配はないと伝える。
 その通りを通る通行人や自転車や車の多くは、何の騒ぎなのかと様子を知ろうとする。
 いつの間にか火事場見学のように、人が集まって来ており、最初の男が見ていた場所以外にも複数の小グループが出来ていた。
 パトカーが音もなく校門前に到着した。
 警邏バイクが数台、学校周辺をぐるぐると回っている。
 数分後、教室の明かりは消えた。
 群衆はどよめいた。
 群衆は校門へ向かった。
 何があったのかを知りたいからだ。
 それを制するように、徒歩の警官が、何やら喋っている。
 最初の男が立っていた場所にも警官が来た。
 警官は簡単な説明をし、立ち去った。
 最初の男も、二人目の会社員も、老人も中学生親子も、無言で立ち去った。
 警官の説明は簡単で、宿直の先生が電気を消し忘れた……と言うことだった。
 最初の男は、そうか、忘れたのか。
 忘れたのか。
 忘れたのか。
 と、何度も何度も繰り返し呟いた。
 
   了
 
 

 

          2005年9月14日
 

 

 

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