小説 川崎サイト

 

風が吹いていた

川崎ゆきお



 雨の降る夜、吉田は傘を差しながら自転車で走っていた。
 風が少しあり、傘がヨットの帆のように風を張る。
 これ以上強い風だと傘が松茸になる。その限界点を右手で感じながら走る。
「これならいけそうだ」
 雨は小雨ではなく、やや強い。降りが弱まれば傘を閉じてもいいが、この状態でそれをやると衣服がかなり濡れる。それに春先とはいえ、まだ寒い。
 吉田は駅前で遅い夕食を食べるつもりだ。
 住宅地を抜けると雑居ビルや店舗が増える。
「どこからが駅前かな」
 いつも駅前に侵入する時、吉田が思っていることだ。しかし、ここからが駅前ですというような線は引かれていない。駅前の町名に変わる場所でも、まだ駅前風景ではない。
 その風景とは住宅地ではない景色だ。生活臭さのない市街を指す。
 その駅前らしさを現すかのように銀行のビルなどが見えてきた。
 雨も風も相変わらずだが、そのままいけると吉田は踏んでいた。傘の内側に風を入れなければいいのだ。それが可能な力が、吉田の手首にはまだある。筋肉が強いのではなくその程度の風なのだ。
 吉田は風雨のことは頭から少し離れ、食べる場所を考え出す。
 この時間はもう呑屋の時間だ。一般の食堂は終わっているかもしれない。
 駅の真向かいに牛丼屋がある。そこならいつでも営業している。
 吉田は迷っていたが、結局は牛丼を食べている自分を想像した。そこが落とし所だと薄々分かっているのだ。
 駅前まで真っすぐ続く大通りに出た。牛丼屋もこの通りにある。しかも走っている歩道側だ。
 もうそれで決定したようなものだ。
 傘を握る右手首も痛くなっている。
「順調に行くと思うなよ」
 と、吉田は聞こえた。空耳かもしれない。
 自分で声を出さないで言ったのかもしれない。または思っただけかもしれない。
 それが言葉として浮き上がったのだ。
 牛丼屋の看板が見えてきた。もう充分市街地であり駅前だ。
 そのとき、吉田が、来る物が来たと感じた。
 傘を離せばよかった。頑張ってしまったのがいけなかった。ビル風に吹き付けられ、傘の内側に風を入れてしまったのだ。
「しまった、裏を取られた」
 吉田は膝と腕に痛みを感じながら、牛丼を食べた。

   了


2008年04月17日

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