小説 川崎サイト

 

理性と感情

川崎ゆきお



 情緒とか情感は、入り込んでしまう世界だ。
 それは感情の世界であり気持ちの世界でもある。
 この感情がくせ者なのだが、人は感情抜きで何かを思うことも考えることもできない。
「感情を抜けばいいんでしょうねえ」
「下手に考えると、できませんから」
「機械の感情になることでしょう」
「機械には感情はないでしょう」
「だから感情のない感情ですよ」
「機械的にやれと言うことでしょうか」
「無機的にね」
「それは機械人間になることですね」
「機械人間的にね」
「可能でしょうか」
「機械のふりをすればいいんだから、可能でしょうね」
「でも、どこかで感情が入りませんか」
「そりゃ、入るだろうね」
「じゃ、不可能じゃないですか」
「まあね」
「困りました」
「それが人間だよ」
「そうですねえ」
「人間は感情の生き物ですからね」
「じゃ、機械の真似はできないと」
「真似はできますよ。感情を殺し続ければいいのです」
「それじゃ、面白くないですねえ」
「まあ、感情を殺しても、感情を殺しているという感情が入りますから、決して感情が消えているわけではないのです」
「はい」
「どこまでも人間は感情に左右されるものです」
「感情的になってはいけないと言うでしょ」
「そうですね」
「それは感情を殺せと言う意味ですか?」
「いや、違いますよ。その場の感情でものを言ってはいけないだけでしょ」
「それを押さえるのは何でしょうか?」
「な、何でしょうとは?」
「感情ではない理性とかでしょうか」
「理性も感情ですよ。理性的感情です」
「私は機械的ではなく、理性的にやっていきたいのですが」
「そういう感情があるのでしょ」
「はい」
「感情をコントロールするのは、これまた感情です。理性じゃないですよ」
「私には理性があります」
「それは概念です」
「では、感情の中に理性があるのですか」
「感情に左右されないのが理性です。それは概念です」
「じゃ、理性はあるんだ」
「感情が理性を作っているのですよ。だから、理性もどうとでもなってしまう可能性がある脆いものですなあ」
「ありがとうございました。何も解決しませんでしたが」
「あ、はい」
 
   了

 


2008年04月25日

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