小説 川崎サイト

 

桜の精

川崎ゆきお



 樹齢四百年の山桜が倒れた。
 山の斜面で、よく生き続けたとも言える。
 里からこの桜はよく見える。
 里人はその桜があって当たり前のように思っていた。山がそこにあるように、桜もずっとそこにあるものだと疑っていなかった。
 里の風景として固定していた。
 その桜が花をつける前に倒れたのだ。斜面のため、これ以上根で支え切れなかったのだろう。
 桜の老木には桜の精が取憑くようだ。その桜から誕生した精なのか、外から来たのかは分からない。
 桜の精は、もはやこれまでと逃げ出す準備をしていた。数百年も居着いていたため、他へ移る術を忘れていた。<BR>
 ところが倒木桜を惜しむ村人が、役所を動かし、植え替える工事を始めた。
 長年里を見続け、見守ってきた桜を復活させたいためだ。
 見守っていたとすれば、桜の精だ。しかし桜の精は里など見ていなかった。
 桜の大木は、大手術を受け、ほとんど原型がなくなるほど幹も枝も切られた。
 桜の精は痛みを感じ、枝から枝へと逃げ回った。
 そして切り落とされた枝と一所に処分された。
 樹齢四百年の桜は、ずたずたに切り裂かれ、平らな場所に植え替えられた。
 里からも見えにくくなったが、里のシンボルは生き残った。
 そして桜の季節を迎え、見事開花した。倒れる前、既に花芽が出ていたので、それが開いただけだった。
 桜の精は、その近くの小さな山桜に引っ越ししていた。<BR>
 やがて新緑の季節となるが、桜の老木はうまく根から水分を組み上げられないのか、開花後は枯れ木のようになった。
 里の物知りが、桜の精のことを言い出した。
「この桜には宿っておらんから、根付かんのじゃ」
 物知りは桜の精を探すことを役所に願い出た。
 役所は里の有力者の意見を取り入れ、祈祷を頼んだ。
 近くの神社から呼ばれた神官が、よくある祝詞を歌い上げた。
 それを聞いた、近くにいた桜の精は、傷口だらけの古巣には戻る気はしなかった。
 次の春。桜は枯れてしまった。
 
   了


2008年05月02日

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