小説 川崎サイト



デジタルの悲劇

川崎ゆきお



 宮地松鶴。業界では彫り宮と呼ばれる仏師だ。
 一刀彫で独自の表現に達したが、まともな仏像は彫れなかった。
 当然、仏師としての仕事は得られず、前衛仏師として生計を立てていた。
 粗削りな仏像は、愛好家の好むところとなり、アクセサリーとしての需要があった。
 ギャラリーで新作を展示すれば、買い手は必ずついた。
 彫り宮は既に七十を越えており、風格はますます高まるが、最近、新作展で売れ残りが出るようになっている。
 それでも若い造形作家の間での人気は衰えない。
 弟子の数も多く、幸せな老後が待っていた。
 ざくっと音がした。
 そんな音が聞こえたわけではないが、右の手首に痛みを感じた。
 右手に力が入らなくなり、箸も持てない状態になった。
 病院で診てもらうが、手術でも完全に元に戻る可能性は低いが、リハビリである程度までは回復すると言われた。
 彫り宮が、彫れなくなった。
   ★
 一年後、箸は持てるようになり、道具も握れるようになるが、思う角度に力が入らない。
 彫り宮の仕事はこれで果てた。
 丸太から仏を刳り貫くことが出来なくなった。
 年老いた仏師として淡々と仕事をこなすプランも消えた。
 彫り宮は丸太を見詰めた。
 そこに仏の姿が眠っているのが見える。仏師としての眼光はまだ生きている。
 何とかならないものかと思案した。
   ★
 半月後、彫り宮はテレビショップでパソコンのフルセットを購入していた。
 プリンタやスキャナやデジカメがセットになった特価品だった。
 弟子がグラフィックソフトのコピーを持って来たが、彫り宮は断った。
 道具は仏師の命だ。借り物では魂が入らないと、弟子を叱った。
 その弟子も知り合いからコピーしてもらっていたからだ。
 彫り宮はインターネットに接続し、ホームページを開設した。
 もう彫れないが3Dで、どの角度からでも見られる仏像を作ろうとした。
 生きるためには必死だった。マニュアルやネット上で作り方をマスターした。ほぼ独学と言ってもよい。
 特価品のパソコン性能が低いため、最新のCPUと3Dの書き込みの速いグラフィックボードを買い。自作組み立てパソコンもマニュアルを見て組み立てた。
 プロ用の高価な3Dソフトも購入した。
 彫り宮のアトリエは、パソコンや周辺機材で埋まり、小さな本棚には理工書が並んだ。
 たまに訪れる弟子相手に、最新のマザーボードの話をするが、弟子は黙って聞いているだけだった。
   ★
 それから半年もしない間に、デジタル一刀彫の一作目が完成した。
 後は、それを少し変えれば、いくらでも新作が出来た。
 彫り宮のファンや、若手の造形作家がホームページを訪ねるようになり、掲示板はスクロールしないと、前日の書き込みが見えないほど賑わった。
 彫れなくなった彫り宮がデジタルで復活した。
 地元の新聞社が、その経緯を取材し、復活にかけた彫り宮の老年パワーを記事にした。
 新作がかなりの数になったところで、パッケージ版とダウンロード版の販売を行った。
 それと連携してギャラリーでプリントアウトしたものを飾った。久々の彫り宮の新作展だった。
 しかし、ギャラリーに積み上げたCDは一枚も売れず、ネット上での購買者もいなかった。
 彫り宮は挙兵したのに、誰も兵を出してくれなかった武将の心境を受け入れるしかなかった。
 挙兵に失敗した彫り宮は、たった一騎で老いの坂を下って行く。
 戦う前から、既に落ち武者だった。
 その後ろから付き従うのは、ただただ溜息の声ばかりだった。
 
   了
 
 
 
 

          2005年9月24日
 

 

 

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