小説 川崎サイト



ベンチ入り

川崎ゆきお



 夜の通りには昼間は見ることの出来ない生態がある。
 その夏もその夫婦が出没した。
 老夫婦だ。
 場所は大きな道路沿いの歩道で、巨大なショッピングセンターの前。
 歩道の幅もそこだけは広く、車がすれ違えるほど。
 深夜、その老夫婦は自転車で来るようだ。
 深夜とはいえ、コンビニやカラオケ、ラーメン屋は開いており、行き交う人がいないわけではない。
 自転車をベンチ前に止め、お爺さんが寝る。
 お婆さんはその横のベンチでじっと座っている。ひょっとすると居眠っているのかもしれない。
 お爺さんはステテコ姿。
 おそらく、家で寝る格好と同じだろう。さすがにお婆さんはハワイアンのようなムームーを着ている。
 家で寝るときもパジャマや寝間着をこの老夫婦は着用しないのかもしれない。
 老夫婦は深夜の二時頃出没する。
 お爺さんが自転車で先にベンチ入りし、お婆さんは難しい顔、困ったような顔で後ろから徒歩で従う。
 遠くからだとお婆さんだけがバス停のベンチで座っているように見える。長距離夜行バスでも待つ姿だ。
 お爺さんは完全にベンチに背を落としているため、遠くからでは見えない。
 その次のバス停のベンチには本物のホームレスがいる。彼らは最終バスが通過してから出没する。深夜にならないと出ない。
 そのベンチの上は新幹線が走っており、屋根の役目を果たしている。それは野生動物が環境に合わせて都合のよい場所に巣を作るのと同じだ。
 お爺さんは熱帯夜の空を見ている。風が多少ある。遮るものがない大通りなので、風通しもよい。
 熱い夜に涼みに来ているにしては行儀が悪い。本格的に寝に来ているのだ。
 酔っ払いが偶然見つけたベンチで寝転がっているのとは違い、これは確信犯。
 深夜でも車は通っており、行き交う人や自転車も時々ある。
 その意味で、安全な場所なのかもしれない。
 次の夜も老夫婦は出現した。今度は道路の反対側のバス停だ。気分を変えたいのかもしれない。
 次のバス停はホームレスの縄張りで、逆方向のバス停はタクシーの休憩場のようになっており、騒がしい。
 その中間に公園があり、そこにもベンチは多数ある。しかし、こちらはホームレスの寝床。
 公園なので茂みやオブジェや遊器具が詰め込まれ、見晴らしも悪く、物騒な場所。
 一般の人が立ち入れないほど不気味な空間で、下手に通り抜けようとするとホームレスを踏む。
 深夜の世界には深夜の生き物が生息している。それは人間なのだが、昼間の人とは趣が異なる。
 夜の世界だからこそ現れる現象だ。
 公園のホームレスも新幹線下のホームレスも、老夫婦の存在は知っている。それは先に占領した者勝ちで、領有権がある。
 それはこの世界の約束事で、そこをめぐっての争いはない。というか、争う元気がそもそもない。
 だが、ここでの領有権は彼らの決め事で、一般社会のそれではない。
 言わば闇の世界での話なのだ。
 明け方近くになると、もう老夫婦は消える。
 新聞配達員が走り出す頃、ベンチの領有権も切れる。
 明るくなり始めると、今度は散歩老人や、太った女が走り出す。
 そして掃除をして回るボランティアが歩道の主となる。
 眠そうな顔で駅に向かう勤め人も現れ出す。
 世界は一変し、一般的市民生活の空気と入れ替わる。
 老夫婦が居たベンチには始発バスを待つ人が座っている。
 老夫婦は近くの超高層公団住宅に再び閉じ込められる。
  
   了
 

 


          2005年10月3日
 

 

 

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