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モロが出た

川崎ゆきお



 沢田は自主的に退職届を学校に出した。
 思わぬところに落とし穴があった。
 いや、爆弾と言ってもよい。
 沢田は中学のベテラン国語教師だった。
 不審者侵入訓練があった。
 沢田は乗り気ではなかった。
 訓練そのものに効果を感じなかった。
 しかし、一度事件が起こると、危機管理云々で何等かの動きが必要で、何かをしているという意味で、不審者侵入時の訓練となった。
 訓練に陰で異を唱えていた沢田に不審者役が回ってきた。
 演技はしなくてもいいから、型通り動いてくれと、同年代の教頭から言われた。
 教頭が指名したらしい。沢田を乗せるためだった。
 沢田はラフな服に着替え、校門から登場した。
 校舎内に入る手前から行われるため、侵入口は想定されていない。
 沢田は大勢の関係者のいる校舎正面入り口に近付いた。
 どこからか笛が聞こえた。体育のときに使う笛だが、髷物捕物帳の呼び子のように聞こえた。
 校舎の正面玄関は開いていた。沢田は同僚が出て来るのを待った。
 しかし、二人の職員は立ち位置を間違え、奥で待っていた。
 警察の指導員に促され、職員二人は慌てて入り口に出た。
 又の付いた取り押さえ棒を二人は槍のように突き出した。
 体育教師の木内と剣道部顧問の奥田が、殺陣の段取りをするようなスピードで沢田の胴に又先を当てた。
 沢田は突かれたわけではないが、肋骨の下に当たり、痛みを感じ、反射的に取り押さえ棒を掴み、押し返した。
 奥田は剣道の心得があるため、とっさに押し返す。
 今度は強い力を感じた沢田はむかっとなり、力を込めて押し返すが、相手は有段者、すっと後退し、その後絶妙の間で突き返した。
 沢田の胴体に又が輪のように入った。
 沢田は屈辱を感じた。それは士農工商時代、卑しい身分の人間を取り押さえるときの道具と似ていたからだ。
 沢田は教頭を見た。
 教頭は、よしよし続けろと言わんばかりに頭を上下に動かしている。
 沢田は俺をこんな目に合わせるのが狙いの人選だったのかと、睨み返すが、教頭は訓練に否定的だった沢田が熱演してくれていることで満足顔なのだ。
 押し返された弾みで、沢田はドアの外まで後退した。
 そこに木内の棒が突っ込んできた。沢田は手で払いのけようとしたが、先端の片方がドアに当たって弾け、思わぬ角度で沢田に迫った。
 払いのける標的が急変化したため、宙に浮いた沢田の手の甲に先端が当たった。
 小手を入れられた感じの沢田は激痛を感じた。
 参加者は、沢田の痛みを知らなかった。
 沢田は奥田を真似、自ら後退する振りをし、胴に挟まれている又を緩め、奥田の横へ向かって突進した。
 棒の押し返しが出来ない角度で突っ込んだのだ。
 棒の距離を越えた沢田は奥田と並んだ。
「はい、突破されました。はい、次」
 と、指導員が棒立ちになっている参加者に、訓練の続きを促した。
 さらに、無言ではなく訓練者は声を出すように……と指導した。
 訓練では学校からの通報で警察官が駆けつけることになっていた。
 既に警官は待機している。
 その頃、授業中の生徒は体育館に避難する設定で、速足で廊下を移動していた。
 沢田は玄関を突破し、教室が並ぶ廊下に侵入した。
 後ろから木内と奥田が続いた。
 声を出せと言われても、何を言えばいいのか、沢田は分からなかった。
「不審者は変質者の設定でお願いしますね」
 指導員がキャラ設定をしてくれた。
 沢田は、えへへへへと声を発しながら廊下を走った。
 慌てて関係者も追いかけた。
 沢田はとっつきの教室に侵入した。同僚の教師が窓から運動場を見ていた。体育館へ向かう生徒の行列があった。
 沢田の奇声で、教師は振り返った。
 教師は笑い出してしまった。
 沢田は次の教室を覗いたが、無人だった。
 打ち合わせでは校舎内をうろうろしているときに、職員と駆けつけた警官に取り押さえられる……と、なっていた。
 ドラマのようにリハーサルはなく、ぶっつけ本番だった。
 沢田は変質者の声を出し続けることで、エンジンがかかってきた。
 最初、乗り気ではなかったが、面白く感じられるようになった。
 廊下を突き抜け、運動場に出た。
 後を追う職員や警官は本気で追いかけて来なかった。
 沢田は変質者の振りは嫌ではないが、早く訓練を終え、お疲れさまの声が聞きたかったが、なかなか取り押さえてくれない。
「はい、そろそろ詰め寄って押さえ込んでください」
 指導員も段取りの悪さに気付き、職員を促す。
「本物の変質者を取り押さえる気迫で、取り囲んでください」
 運動場に出た沢田は、何をすればよいのか分からなかった。
 前方に体育館があり、同僚が立っていた。生徒を避難させ、見張りでもしている感じだ。
「あ、沢田さん、お似合いですよ」
 若い国語教師の目が笑っている。
 沢田はまだ捕まっていないのだから突っ込むしかない。
 エヘエヘエヘと変態声を発しながら突っ込む。
 若い国語教師は両手を広げて通せんぼした。
 下僚に逆らわれた気になり、沢田はむかっとなり、体当たりで突破した。
 相手は本気で阻止するつもりはなく、阻止ポーズをとっただけなのだ。
 沢田が体育館に入ると、悲鳴が上がった。
 壇上に校長がいた。
 生徒達は列を崩した。
 校長は訓練が体育館にまで及ぶとは思っていなかった。
 実際に起こった不審者侵入事件の話をしている最中だった。
 沢田は悲鳴で興奮した。
 いつもの生徒の視線ではなく、悪人を見つめる視線だった。
 男子生徒の中には笑っている者もいたが、沢田の変態声と異常な表情や仕草に反射的に反応したのだ。
 中には面白がって、作り悲鳴を発する女子もいた。
 沢田はこのとき、演技だったと語っているが、目は大きく開き、唇は歪んでいた。
 そして体育館という大きな舞台で注目を浴び、もっと受けないといけないと思ったと語っている。
 沢田がファスナーをおろすと、悲鳴は増し、もっとやれ、もっとやれと背中を押されたとも言う。
 奇声だけでは弱いと思い、知ってる限りの卑猥語を連発した。
 泣き出す女子が現れた。その泣き声に向かい、もうズボンを脱いでしまっている沢田が襲いかかった。
 警官が取り押さえようとしたとき、沢田は抵抗し、揉み合いとなり、半裸となっていた。
 校長は、悪夢だと思った。
 教頭は人選に失敗したことを反省するより、責任問題でどう切り抜けるのかを思案した。
 沢田は二人の警官に完全に取り押さえられ、縄と手錠で動けなくなった。
「はいそこまで」
 指導員が訓練の終了を告げた。
 沢田は戒を解かれた。
「熱演、御苦労様でした」
 指導員は沢田を労った。
 まだ泣いている女子もいる。
「これぐらい真剣にやってもらえれば、効果のある訓練だと言えるでしょう」
 沢田はまだ興奮していた。職員が毛布を沢田に被せた。
 校長はきょとんとし、教頭はため息をついた。
 訓練後の手続きを終えた指導員は、部下と共にパトカーに戻った。
 そして、
「やり過ぎだよ」
 と、一言漏らした。
 
   了
 
 
 


          2005年10月9日
 

 

 

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