通報ネット
川崎ゆきお
髭面男がステテコ男の前で自転車を止めた。 「あんたもか?」 ステテコが聞く。 「そうや」 「向こうからも、もう一台来るぞ」 アルミ缶を積んだ自転車が近付く。 「どうなってるんや」 アルミが二人に聞く。 「ここは安全みたいやなあ」 髭面が答える。 彼らは追い込まれていた。 「わしが何をした」 ステテコが髭面に聞く。 「ステテコやろ」 ステテコは前を直す。膨らみがモロに出ていた。 「そしたらあんたは髭か」 「ああ、無精髭半年伸ばしてる。たまに切るけどな」 「俺はアルミやろなあ」 他の者が頷く。 ステテコは土建屋の仲間に頼まれ、タコ焼きを買いに行く最中で、髭面は健康のためのサイクリング中で、アルミは早い目に出しているアルミ缶回収だった。 また一人やってきた。原型が分からないが、何かを歌いながら自転車をこいでいた。 さらにもう一人増えた。 頭に炭鉱夫のようにランプをくくりつけている。昼間なので電気はつけていない。 不審者通報携帯メールネットと称する仕掛けで彼らは追い込まれた。 追跡者は監視するだけで何もしてこない。 不審者にとり、それは薄気味悪い視線で、その場にいられない。 ネット参加者が通報をメールで知り、表に出て監視した。 不審自転車が向かった方角を通報し続ける仕掛けだ。 このネットは五つの自治会が参加する広範囲のものだった。 ネット主催者は住宅地図上に不審自転車マークを付け、目撃情報を得ながら経路を予測した。 不審自転車の存在を住民に知らせることで、子供の連れ去りや空き巣などを未然に防ごうとした。 不審な車の通報は一報もないのは、不法駐車を通報すると、住民同士が首の絞め合いをするようなものなので、交通関係は別枠とした。 不審な自転車乗り達は、それぞれの自治会から追い立てられるように、そこに集まった。 そこは自然に入り込んでしまうような場所だった。 昔の村道が交差している場所らしい。 その場所には自治会パトロールの視線はなかった。 彼ら不審者にとり、絶好の避難場所だと言える。 その場所のすぐ前に大きな屋敷がある。大木が庭にあり、昨日今日の屋敷ではない。 危なそうな不審者が集まっているにもかかわらず、周囲は静かだ。 髭面がそのことを言う。 そういえば、この町内には追っ手が来ないとアルミが答える。 彼らは四方からここに狩りたてられた。しかし、ここは静かなのだ。 「罠かもしれんぞ」 ステテコがステテコを揺らしながら周囲をクルクル回る。 「非常灯点灯」ヘッドライト男が頭のライトをオンにする。 彼らは初対面ではない。何人かは顔ぐらいは見たことがあるはずだが、仲間ではない。 「ここは、町内が違う」 アルミは自治会が違うということを言いたいようだ。 町内のゴミ収集場に精通しているプロの言葉だ。 アルミは電柱を指差す。 裏芝町と記さたプレートがある。 「ここは六丁目まである」 髭面は、それがどうしたと、アルミに聞く。 「この中には追っ手の姿はない」 別にそのネットは追いかけるのが目的ではなく、不審者が近くにいることを知らせ合うだけの組織で、アルミが言う追っ手は大袈裟だ。 「そう言うたらあの視線を感じひんなあ」 髭面はそれが何を意味しているのかが不気味だった。 彼等は円陣を組み、防御の陣形を作った。 四つ角。 どの方角に出ても敵がいる。 この場所に追い込まれ、一気にやられるのではないかと彼らは考えた。 「島津軍になるしかないやろ」 髭面は関が原で敵中突破した島津軍に例えているようだ。 他の不審者も一丸となって、ここを抜け出し、安全な町へ向かうことに異存はない。 そして彼らは目一杯のスピードで繁華街のある方向へ突っ走った。 ネット主催者は不審自転車が集団で暴走しているメールを無数送受信した。 そして、ネット圏内から姿を消した。 彼らが集まっていた町内からの通報は一つもない。 その自治会の会長がネットに参加することを承認しなかった。 そのため空洞がぽっかりと空いたのだ。 その自治会会長は大きな屋敷に住む隠居さんで、歌謡曲を歌いながら自転車散歩をするのが趣味の人だった。 了 2005年10月18日 |