リハビリ
川崎ゆきお
「やっと、出来た彼女なのです」 母親は興信所の調査員に語り出した。 「何とかしてやりたいのです」 「そのう、何をどうすればよいのか、具体的におっしゃってもらえませんか」 母親は息子の部屋へ調査員を連れて行った。 息子はパソコンの前にいる。 「立ち直ってくれるきっかけになればと、思いましてね」 チャット画面を見ながら、息子は熱心にマウスをクリックしている。 「邪魔をしてはいけないので、戻りましょう」 調査員が促す。 母親と調査員は応接間に戻った。 「息子は学校にも行かず、引き籠もったままなんです。あのようにパソコンで遊んだり、ゲームをしたりで、一日過ごしております。専門医の話では、対人恐怖の症状が出ているとか」 「そうなんですか……」 「それで、人と接する機会を増やせと奨められましてね」 「はい」 「チャットというものに参加させました」 「文字でやりとりする、あれですね」 「はい。少なくとも誰かと接することが出来るでしょ。息子にはちょうどいいリハビリかと」 「話を急がせるようで恐縮なんですが、どういう依頼なのでしょうか」 「最初に申しましたように、彼女のことなのです」 「息子さんに彼女がいるのですね」 「それがまだはっきりとしないのですよ」 「チャットと関係があるのですね?」 「はい、チャットで知り合ったようです」 調査員はやっと輪郭を掴めた。 「これをきっかけに、人様と接触出来るようになればと考えていますのよ」 「で、今回のご依頼は?」 「彼女と会わせてやりたいのです」 調査員はしばし沈黙した。 「出来ますでしょうか?」 「それは当人同士の問題かもしれませんよ。お互いに会う気があれば会えると思いますが」 「それは分かっています。親がそこまで入り込むのはおかしいことだとも」 「非常にノーマルな判断だと思います」 「ですが……」 「はい」 「心配なのです。せっかく人様と接することが出来、しかも彼女まで出来たのに、それが原因でもっと悪くなりはしまいかと」 「それは専門医の分野だと思いますが」 「はい」 「私どもは調査が仕事となるのですが……」 「ですから、是非とも調べていただきたいのです」 「つまり、その彼女との関係を、ですね」 母親は頷いた。 ★ 翌日、別の調査員が来て、その息子の部屋に母親と一緒に入り、会話した。調査員は不登校を促すボランティアを装った。 殆ど会話にはならず、一方的に調査員が語り続けた。 会話が目的ではなかった。 二時間以上経過したとき、息子はトイレに立った。 それが目的だった。 調査員はパソコンにメモリカードを突き刺し、ブラウザの履歴を開き、チャットサイトへアクセスした。パスワード画面が出た。 調査員は*マークが並んでいるパスワード文字をコピー出来るソフトをカードから起動させた。 息子の足音が聞こえた。 調査員は母親と一所に立ち上がった。 ★ 依頼者の息子が行っているチャットは、単純なパスワード式のオープンチャットだった。 調査員は数日、ログを見ながら検討した。 一週間後、最初の調査員が依頼者宅を訪れた。 「どんな感じでしょうか。息子は彼女とうまく行くでしょうか」 「ネット上だけの関係なら、問題はないでしょう。恋愛は成立しています」 「何か協力してやれることはないかしら。その娘さんにお会いして、よろしくお願いしますとかの、挨拶とか……」 「必要ないでしょう」 「では、ちゃんとお付き合いしているのですね」 「だと、思います」 「それを聞いて安心しましたわ。これを機会に、あの子も立ち直ってくれればと、期待しております」 これで、依頼事項は終了した。 ★ 「これなんだけどね。覗いて見るかい」 「ああ」 モニターには依頼者の息子が行っているチャット画面がある。 「どうも変なんだよ」 「ラブラブなんだろ」 「そうなんだけどさ」 「自閉症や対人恐怖症でも、ネット上ではスイスイ泳げるってことなんだ」 「ならいいんだけどさ」 「何が変なの?」 「俺もこういうところに出入りしてるんだけどさ。そんな簡単にはいかないよ。俺、出会い率0だぜ」 「それは君が下手だからさ」 「お前は、やったことあるのか」 「ないよ」 「簡単にはゲット出来ないってことさ」 「でも出会い系なんだから仲良くなって、うまくやってる奴もいるんだろ」 「説明が長くなったから真実を言うよ」 「今のが説明」 「そう、ネット上で女の子、引っかけるのは大変だってことを頭に入れてくれればいいんだ」 「分かった。それで真実って何だよ」 「このサイトね、出会い系総合サイトで、オープンチャットがメインのようだ」 「あの息子、金払って、紹介してもらったとか……」 「じゃない。そこは全部無料だよ」 「サクラ相手にやっているのかと思ったけど」 「そうじゃない」 「じゃ、何だよ」 「オープンチャットは複数の男女で会話する場でね。そこで仲良くなった相手をパスワード式の個室に連れ込むのさ」 「そういう仕掛けなん?」 「あの息子に、それがクリア出来るとは思えなくてね」 「だから、ネット上では別人になるんだろ。それがリハビリになれば、それでいいじゃん」 「確かに別人だよ。性が違ってる」 「性?」 「俺のうっかりミスだ」 「どういうこと?」 「これならさー、イチコロだよ。女さえOKすりゃね。こんな簡単なことはないよ」 「何を言ってるんだ?」 「ログを読み違えたんだよ。女の名前の方が、あの息子だよ」 「え?」 数週間後、依頼者の息子は相手とリアルで出会った。 息子は出掛けるとき、女装はしなかったようだ。 真実がどうあれ、関係がどうあれ、依頼者の息子はその後、普通に学校へ行けるようになっている。 了 2005年10月27日 |