小説 川崎サイト

 

古典

川崎ゆきお



「奥さん、ゴムひもいかがですかね」
「え、ゴムひも」
「お安くしときますよ」
 人相が悪いうえに、口の周りは黒々とした髭で、ちくちく刺さりそうな男だ。
「ゴムひもを売りに来たの?」
「そうですよ。奥さん。ゴムひもっていやあ分かるでしょ」
「ゴムひもは分かりますが」
「そういうことですよ。一ダースほどどうですか」
 男は薄汚れた鞄から白いゴムひもの束を取り出す。
「これがゴムひもなの」
「必要でしょ」
「見るの初めてです」
「また、冗談を」
 男はゴムひもをグーと伸ばす。
「丈夫ですよ。これでパンツのゴムも切れない」
「どうして、ゴムひもなの?」
「こういうのはね、奥さん、ゴムひもに限るんですよ。何ダース置いときましょう」
「使わないと思うけど」
「ゴムひも、なけりゃ不便でしょ。ゴムが切れたとき、どうするんです」
「いやだわ」
「そんな時、このゴムを通せばいいんですよ」
「そんな太いゴム必要ないです。それにゴムなんて通しませんよ」
「他にも使い方がありますぜ」
「だから、どうしてゴムひも?」
「ゴムひも売りに来たといえば、分かるでしょ。百貨店で売ってる上物ですよ。今なら半額です」
「あなた、何してるの」
「見りゃ分かるでしょ。ゴムひもを売りに来ているんですよ」
「もっとましなものないの。こんなの使わないわ」
「ゴムひもは必要でしょ」
「うちでは使いません」
「まあ、それはどうでもいいんだよ。三ダース買ってくれれば、大人しく帰りますから」
「どうして、ゴムひもなんて売りに来るの」
「何言ってるんです奥さん」
「あなたこそ、何を売っているのか、考えなさいよ」
「分からない人だな。奥さん。こういうのはゴムひもって相場が決まってるんだ」
「ゴムひもの相場?」
「何だよ。余裕だね。奥さん。じゃ、ずっといるよ。買うまで」
「だから、どうしてゴムひもなんて、売りに来るのよ。あなたおかしいんじゃない」
 男は何十年か、ある場所に長居していたため、古典をやっているようだ。
 
   了


2008年08月26日

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