小説 川崎サイト



グミの実

川崎ゆきお



 長谷川は園芸店でグミの木を買った。
 部屋に木が欲しかった。
 長谷川はマウンテンバイクのハンドルにビニール袋をぶら下げた。
 鉢植えのグミの古木で、幹が太かった。盆栽と言うには枝振りが大き過ぎる。グミの赤い実を鑑賞するための商品だろう。
 長谷川はマンションの一室に鉢植えを持ち込んだ。
 人工の色しかない部屋に植物の緑色がよく映えた。
 いつでもよく見えるように、机の上に置いた。
 パソコンの液晶モニターの横に置くと、グミの木の方が背が高かった。
 長谷川には園芸の趣味はない。
 園芸店の前を通っても買うようなことはなかった。
 グミの古木の鉢植えを買った自分が不思議でならない。
 緑に接したければ、いつでもマウンテンバイクで見に行ける。里山を走れば、いくらでも本物が見られる。
 長谷川はネット上で動くツールを開発し、それをダウンロード販売することで生計を立てていた。
 一人で出来る仕事のため、仕事で人と会う機会はない。プライベートでも知り合いはいるが、友人は一人もいない。当然彼女もいない。
 生まれつき不細工な顔付きで、普通の男の子としての生き方は出来なかった。
 前向きな発想を何度も実行したが、鏡で我が顔や体型を見ると、何をしても惨めな気がした。
 その代わり、驚くべきほどの根気と粘りがあった。
 長谷川が作ったシュアウェアソフトは定番ツールとなり、一人で暮らすには十分な収入がある。
 グミの古木は疲れた目を癒してくれた。
 液晶画面ばかりを見ている目を少しずらすと、そこに自然の息吹があった。
 植物に話しかけたりはしないが、目に見える形の生き物がそこにいた。
 ある夜、長谷川は夜中に目を覚ました。
 たまにそういう夜がある。
 時計を見ると、まだ一時間も眠っていない。
 睡魔がいつものように来たので、布団に入ったのだが、違っていたのかもしれない。
 まだ元気で、眠るには早かったのかと思い、起き上がった。
 やや肌寒い。もう夏は完全に去っており、秋の空気に入れ替わっていた。
 冷えたのかもしれないが、尿意はない。
 起きたら掛け布団を替えたり、毛布を出そうと思いながら、電気をつけようとした。
 そのとき、グミの木が目に入った。
 暗闇ではない。
 窓から差し込む隣のマンションからの外灯で、枝や葉がうっすらと見える。
 その葉が動いた。
 他に動くものはない。
 透き間風ならカーテンが揺れるはず。動いたのは一枚の葉だ。
 成長しているのかもしれない。
 だが、そんなに大きく動くだろうか。
 しかも、その一枚だけが……。
 長谷川はしばらくその葉を注視した。
 また、揺れた。
 長谷川は息を止め、気配を消しながら見続けた。
 すると葉の輪郭の上を動く何かがいることが分かった。
 虫。
 一匹、二匹、三匹。
 数はそんなものだ。
 枝を移動している虫もいる。
 長谷川は電気をつけた。
 虫はあっと言う間に消えた。
 長谷川は木のすぐ前で観察した。
 虫は鉢の中に隠れたようだ。
 腐葉土のようなものが表面を覆っている。
 その下に隠れたのだろう。
 長谷川は虫を退治する気はない。
 これは森での自然な行いのように思えたからだ。
 そういえば、虫に食われた葉が数枚あった。その程度ではどうということはないはずで、むしろ虫の糞が土の栄養源になるはずだ。
 バクテリアがそれを分解するイメージが頭に浮かんだ。
   ★
 季節は秋の終わり。もう冬がそこにあった。
 グミの古木もまだそこにある。
 しかしアナログ的な紅葉がないまま、葉は一枚一枚落ちていった。
 パソコン机の前に座ると、キーボードの上に、枯れ葉が乗っていたりする。
 成長を楽しむのではなく、枯れゆく姿を鑑賞する鉢植えだった。
 長谷川はその姿を仕事中ずっと見ていた。
 サポート掲示板に不具合が報告されている。その修正をやるのが日課で、それによりプログラムのバグは消えていく。
 日々の仕事はそれだけだ。
 その日もいつものように液晶モニターを見ていた。
 ところが、何かいつもと違うものを感じた。
 見慣れぬ色が加わっている。
 モニターの右、グミの木にその色が加わっていた。
 赤い。
 長谷川はグミに実が成っているのだと思った。
 買ったとき、グミの実の小さな写真が張り付けられていた。それを思い出した。
 長谷川はグミの木についての知識は全くなかった。それでも実が成るためには花ぐらいは咲くだろう程度の知識はある。
 グミの実が晩秋に実をつけるものなのかどうかも知らない。
 虫かもしれない。
 赤い虫が枝にくっついているのではないかと思い、近付いて見た。
 虫ではなかった。
 実は一つだけ、ポツンとぶら下がっている。
 長谷川はルーペで実を見た。
 丸くて赤い実には模様があった。
 その模様を凝視し続けると人の顔に見えた。
「話し相手が欲しいんだろ」
 声と共に口が動き、眉も動いた。
 長谷川はグミの実と目を合わせた。
 グミの実が長谷川を見ているのだ。
 長谷川はルーペを落とした。
 手が奮え、息苦しくなった。
 立ち上がり、キッチンへ走り、水を飲んだ。
 長谷川は拙いことになっていることを自分に言い聞かせた。
   ★
「お前は誰かと喋りたいんだろ」
 グミの実の顔は、アイコンのドット絵程度のサイズしかなかった。
「最後に人と話したのはいつだい? もう、とっくの昔だろ。お前が口をきくのは店で、はいとか、これくださいとか、程度だろ。お前は会話に飢えてるんだ。そうだろ」
 長谷川はパソコンのモニター画面のアイコンが、右にずれてグミの木の上に重なっているのかと思った。
 どうしても信じられないからだ。
「お前は俺を買った。どうしてなんだ?」
 長谷川は、その問いかけについて思い出そうとした。
「答えは寂しいからだよ。誰かにそばにいてもらいたかったからだよ」
 そうかもしれないと長谷川は頷いたが、そうでもないかもしれないとも考えている。
「だから望み通り出てきてやったんだぜ。本望だろ」
 長谷川は、それならペットを飼う方が理に叶っていると思った。
「お前は人に飢えている。そうだろ?」
 長谷川は一人で静かに暮らすのも悪くはないと考えていたし、不満に思ったこともない。
「聞いているのか? 俺の問いかけを……。全部当たっているだろ」
 長谷川はそれよりも、この現象がどうして起こっているのか、そのメカニズムに興味があった。
「これからは俺が相手になってやるからな。お前の友達になってやるからな……だからもう寂しくないだろ」
 幻視と幻聴が同時に起こっている。これは精神分裂病かもしれないと思った。それなら説明はつく。もし誰かがこの部屋に入ってきて、同じ物が見えれば別だが。
 長谷川はパソコンのボイスレコーダーソフトを起動させ、マイクを向けた。
「お前は意識していないかもしれないが、人との接触を望んでいるんだ。寂しいんだよお前は。だから鉢植えを買った。植物も生き物だよ。だが、お前は園芸の趣味はない。なのに急に買った。おかしいとは思わないかい。お前が買ったの鉢植え植物じゃなく、俺なんだよ。お前は俺を買ったんだよ。あの園芸店にグミの木の鉢植えは四つあっただろ。俺がいたのはその中の一つだ。あとの三つはただのグミの古木だよ。お前は選んだ。四つの中から一つをな。俺を選ぶのは自然なことだよ。俺がいるからお前は鉢植えを生まれて初めて買ったんだよ。お前が俺を持ち帰ったんだ」
 長谷川は録音したファイルを開き、再生した。声は録音されていなかった。
「心配するな。今日から俺がいる。もう寂しくないだろ。俺様がお前の話し相手になってやるからな」
 長谷川はこの声が何処から聞こえてくるのかと考えた。
 直接言語系にアクセスしているのかもしれない。この種の転送方法は初めてだ。非常に明快に聞こえるが、鼓膜を振動させているわけではない。
「このグミの古木はやばいぜ。水をもっとくれ。液体肥料も差し込んでくれ。そうしないとやばいぞ」
 長谷川はあることに気付いた。話し相手とは言いながら、グミの実が一方的に喋っている。
 長谷川の心の中を読むことが出来ないのか、彼の思いのようなものは転送されないようだ。
 用心のため、話しかけないようにした。
 話しかけた瞬間、双方向となるディバイスが開くかもしれないからだ。
「さあ、これからは俺との共同生活が始まるんだぜ。嬉しいだろ。もう独りぼっちじゃないからな。犬や猫は喋らないけど、俺は喋れるから会話が出来るんだぜ。さあ、何か話してみろよ」
 長谷川はキッチンに行った。しばらくじっとしていたが、グミの実からのメッセージは聞こえてこなかった。
 赤外線通信の距離程度のパワーのようだ。
 これらがすべて長谷川の幻覚である可能性が一番高い。
 その場合、何をしても無駄だろう。
 それは外部から来たものではなく、内部から出て来た現象なのだから。
 長谷川はデジカメでそれを写し、すぐにプレビューした。
 グミの実の顔は写っていなかった。
 これで、この世の周波には乗らない存在であることが確定した。
 結論を急ぐ必要はなかったが、やはり内部から来ているものである可能性が濃厚となった。
 その日も、それは喋り続けたが、同じことを繰り返しているだけだった。
 長谷川がそれに対し、無視し続け、相手をしないため、会話が成立しなかったのだ。
 また、長谷川の仕草を見て、そいつは突っ込まない。
 そこに救いがあった。
 長谷川はいつものように作業を続け、いつものように眠った。
   ★
 翌朝、そいつは消えていた。
 長谷川は布団の中からグミの木をずっと見ていた。それが成っている場所を注視し続けたが、赤い実はなかった。
 近付いて鉢植えを回したが、顔も赤い実もやはり確認出来なかった。
 そいつは長谷川が話に乗ってこないので、寂しくなり、消えたのかもしれない。
 
   了
 
 
 


          2005年10月31日
 

 

 

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