小説 川崎サイト

 

行き着く先

川崎ゆきお



「ここに引っ越したの?」
「親しい人間にしか知らせていない」
「俺は親しいのか」
「ああ」
「それは嬉しいけど、どうして? あのすごい屋敷はどうするの?」
「まだ、あそこが現住所だ」
「誰も住んでいないの」
「住めないね。あそこは」
「有名建築家が設計したんだろ」
「友達だ」
「そんな友達、お前、昔からいたからなあ」
「ああ、悪いが、彼にも引っ越したことは知らせていない。あ、引っ越していないしね」
「郵便物とかが届くんだろ」
「留守番の夫婦に任せてる」
「やっぱり、お前はこういう昔からあるような貧乏長屋がよく似合ってるよ。この畳み臭さがね」
「ここは借家だ。長屋じゃないけど」
「庭もあるねえ。あの屋敷建てる前に住んでた家に似てるじゃないか」
「ああ、このぼろ畳が落ち着くんだ」
「他に誰かに知らせた?」
「四畳半一間暮らしの頃の仲間にはな」
「じゃ、前田にもか」
「彼は、有名になったよ。だから、知らせていない」
「じゃ、知らせたのは、貧乏仲間か」
「ああ」
「お前は貧乏じゃないよな。名を成し財を成した。出世頭だ」
「年取ってから家なんて建てるもんじゃない。あんなモダンな家は、年寄りにはしんどい」
「テレビで見たよ」
「あれっ? 君は呼ばなかったか、新築祝いのとき」
「葉書来てたけど、行く気がしないからやめた。成功した人間とそうでない人間の差を大きく見せ付けられるのは嫌だからな」
「この借家ならどう」
「悪くない。だから、来たんだよ」
「そうか」
「弱ってるんだろ」
「体力も気力もね。だから、あの前衛建築の家は雰囲気に合わない。虚しさを感じる」
「青春の夢をすべて果たしたじゃないか」
「ああ」
「それがまた振り出しの家に戻るのか」
「もともと、こっち側の人間だったんだ」
「分かるよ。お前にはすごい仲間がいて、いい仕事いっぱいしてきたからなあ」
「人脈に恵まれていたんだ」
「で、その人脈を切るのかい」
「そのつもりだ」
「仕事は?」
「もうやらない。早く忘れられた人間になりたい」
「それを聞いて安心した。また遊びに来るよ」
「ああ、そうしてくれ」

   了


2008年09月06日

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