ドラマ
川崎ゆきお
目的は変わるものだ。
叶わぬ目的であることが分かったとき、変えるだろう。
それでも変えない場合は、夢として残しておくのだろう。だが、叶わぬ夢に対しては、行動が伴わない。
それが目的であったときは、行動していた。夢のレベルに変えたとき、もう行動しない。行動しても叶わないからだ。
それで、叶うような現実的な目的に変えるのだが、それが見つからないと、目的が宙に浮いてしまう。
軸のない人は、目的がない人が多い。軸があるのは目的に向かうための指標があるためだ。
「目的かあ。何だったのでしょうねえ」
上村は目的を失っていた。
「それなりにあったのでしょ?」
「いろいろあったような気がするが」
「目的なんですから、はっきり覚えているでしょ?」
「ああ、失敗した事例が多くてね。思い出したくないんだ。恥をさらすようで」
「じゃ、複数あったのですね」
「横並びではなく、これが駄目だから、あれ、あれが駄目だからこれ、というように変えていったのだと思うよ」
「どれも駄目だったのですね」
「それでもう、目的らしきネタがなくなりましてな」
「まだ、叶うような目的があるんじゃないですか」
「ああ、どんどん地味になっていきましたよ。叶うネタとなるとね。そうなると、インパクトがなくなるんですよ。それはもう目的なんていえるような代物じゃないってね」
「それで、今は目的を持たないのですか」
「人に言えるような目的じゃなくなってますなあ」
「でも、密かな目的がまだあるんですね」
「隠しているわけじゃないですが、目的といえる強度がないのですよ。だから、もう目的とはいえない、ということですかな」
「お年寄りになっても目的を持つことが大事だと思いますよ」
「そうだと私も思いまして、このセンターへ寄ったのですがね」
「いろいろありますよ。趣味の教室が」
「趣味ねえ」
「目的は楽しむということですよ」
「楽しめますかな」
「過程を楽しむのです」
「なるほど、それで目的ができるわけですな」
「これで上村さんも目的ができ、生きがいもできますよ」
「それはいいんですがね。何かが欠けておるんです」
「何でしょう」
「ドラマがない」
「ふむ」了
2008年09月14日