寒い日だった。
奥崎は鬼を見た。
奥崎はボランティアで町内をパトロール中だった。
パトロールと言っても、単に自転車の前カゴに(パトロール中)と記されたパネルを張り付けているだけのことだ。
それは想定外であり、守備範囲を超えていた。
奥崎はパトロール当番の船木宅へ行き、報告した。
「それは違うでしょ。見間違えたのじゃないですか」
「僕もそう思うのですがね……念のため報告しておきます」
「じゃあ、私の耳に入ったということで……」
奥崎は不満げだ。
「それでいいのですか?」
「だからね、奥崎さん。あのね、それは、いくらなんでも……アレでしょ」
「僕の錯覚だとでも?」
「それ以上は、私の口からは……」
「つまり、聞かなかったことにするわけですね」
当番の船木は黙った。
「じゃあ、何のためのパトロールなんですかねえ。報告したのに、聞いておきましただけじゃ、僕の役目は何だったのか……ですよ」
★
「……と、いう話をするんですよ。信じられませんよ」
船木は、交替の当番に愚痴る。
「どうかしましたか?」
浦賀は黙っている。
「浦賀さん。どうかされましたか」
「錯覚じゃなかった」
浦賀はポツリと言う。
「錯覚?」
「そう、錯覚じゃなかったのかも」
「すると、奥崎さんは本当に……。いやいや、冗談でしょ。それはいくら何でもあなた……そうでしょ」
「わしも見ておるんです。あの路地で」
「ちょっと待ってください。それは、いくら何でも……」
「そう、いくら何でもありえんこと。だから黙っていた。奥崎さんが見たものと同じものをわしも見た」
船木は、どう答えてよいのか迷った。
「わしも言い出すかどうかを迷った。結局言わないでおいた。だが、奥崎さんが言ってしまったので、放置するわけにはいきません」
★
浦賀は自治会長に報告した。
自治会長は不思議な生き物を見る様に浦賀を見た。そして、どう答えればよいのかと思案した。
その沈黙がしばらく続いた。
「警察への通報は会長からお願いしたい」
浦賀は真顔で会長に迫った。
「確かに不審者だと思いますよ。その目撃談が正しければね」
会長はもっちゃりと喋りだす。
「で、何ですか? 奥崎さんも見たとおっしゃるのですな?」
「そうです」
会長は、困ったような顔になる。
「ええとねえ、どう言うたらええのか、言葉を選んでおるところですが……」
「通報するかどうかは会長の判断に任せます。わしらはついでにパトロールしているだけで、見慣れぬ人物を見かけたら会長にお知らせするだけですから」
「だからね浦賀さん……。それは人ではないのでしょ?」
「不審な物が置かれていた場合も報告するように言われています」
「あのねえ……浦賀さん」
「だから、わしは報告した。それで終わりじゃ」
「奥崎さんとお二人で来てください。そして、もう一度報告し直してくださいますかな。私も、こういうのは初めてで、また、パトロール中の不審者情報に間違いが多くてね。苦情が来よるのですよ」
「分かりました。でも、あの路地の奥に鬼がうようよいますぞ。早く警察に知らせないと、とんでもないことになる。まあ、会長さん、あんたの判断に任せますがね。わしの役目はここまでじゃ」
★
自治会長はその夜、警察署に電話した。
「今度そんな電話をすると逆探知するぞ。今回は許してやるから、二度とやるな」
★
自治会長は翌日、奥崎と浦賀を連れて署まで行った。
奥崎と浦賀は目撃談をそれぞれ語った。
「信じられない話ですねえ」
「では、これで……」
自治会長は報告を終えると、すぐに立ち上がった。
警察に情報を伝え終えたことで、会長はほっとし、署を出た。
しかし、奥崎と浦賀は落胆した様子だ。
「お二人とも、後は警察に任せるということで、どうも御苦労さんでしたな」
「あれでいいのですか」
奥崎が不安げな目で会長を見る。
浦賀はパトカー数台があの路地に向かうものだと期待していた。
★
では、あの鬼は誰が担当するのか。
三人は町内に戻り、その路地を歩いた。
まだ昼前で、鬼が出そうな雰囲気はない。
会長は浦賀と奥崎を疑うような目で見る。
二人が申し合わせて嘘をついているのではないか……と、言うような態度だ。
この町内は一戸建てが多い。
その路地だけアパートや小さなワンルームマンションが集まっている。
「お二人が見た鬼はどんな姿でした?」
小鬼だと二人は答えた。小学生ほどの背丈のようだ。
「確かにわしらが見たものは鬼でした。鬼がこの路地の奥で動いていた」
浦賀は、そう言いながら奥へ進んだ。
奥崎もこわごわついて行く。
「僕が見たのも、浦賀さんのと同じでした」
奥崎も自治会長に説明する。
「その話は何度も聞きました。浦賀さんが木曜日、奥崎さんが金曜日。いずれも夜の八時前後。きっと同じものを見たのだとは思いますがな……。やはり話が話なんでなあ……」
浦賀は路地の突き当たりまで来た。アパートがあり、ドアが複数並んでいる。
自治会長はアパートに誰が住んでいるのかを知らない。こういうアパートは家主だけが自治会に入っているだけの場合が多い。
町内の半数以上が昔からの住民ではなくなっており、横の繋がりは薄い。
「ここに小鬼がいた」
浦賀がアパートの敷地内に入って、言った。
その声は思っている以上に周囲にまで聞こえた。
アパート内から物音が聞こえた。
三人は後ずさった。
ドアが開き、小鬼が二匹出て来た。
自治会長は身体が震えた。いや、痙攣したと言ってよい。オーバーの内ポケットから小瓶を取り出し、錠剤を口に含んだ。心臓の薬のようだ。
奥崎はきょとんとしている。
浦賀は安堵の顔で小鬼を見ていた。
小鬼は何かを投げて来た。
自治会長に当り、地面に落ちた。
自治会長は錠剤を落としたのかと思い、拾い上げた。
それは豆だった。
二人の子供が被っていた鬼の面は、幼稚園で自分で作ったものらしく、市販のお面にはない荒々しさがあった。
「もうすぐ節分ですなあ」
自治会長は胸をマッサージしながら言った。
了
2006年01月6日
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