人生の坂道
川崎ゆきお
人生は重い荷物を背負い、坂道を上っているようなものだ。と、戦国時代を終わらせた武将が言っていた。
坂上はそれを思いながら、自転車で坂道を上っている。言うほどの傾斜ではないが、そこを通らなければ、駅には出られない。
坂上の人生は駅の向こう側にあった。電車に乗ったその先の都心だ。
今は駅前までの人生になっている。
坂上は軽く蕎麦を食べたかった。近所に、そんな店はなく、結局駅前まで出ないとありつけない。
たかが蕎麦のために、自転車で二十分走る。食べたいのだから仕方がない。
駅前には立ち食い蕎麦屋がある。値段が安いので行くのではない。あっさりとした蕎麦を食べたいのだ。大げさな蕎麦ではなく、ちょっとかきこむようなのが。
それだけが目的で駅前まで走っている。これは人生にとっては軽い話だ。重い人生ではない。非常に簡単だ。
しかし、蕎麦を食べるだけが目的で動いている自分が、何となく情けない。
何かをするための腹ごしらえではなく、これが目的なのだ。
夕食を立ち食い蕎麦で済ませるのは、金がないからではない。貧乏なら、蕎麦を買ってきて自分で作れば安くつく。
やがて、坂道の中程まで来た。前を走っている自転車との距離がますます広がる。
さらに後ろから来た自転車に追い越される。
坂上より年かさの老人だ。
電動アシスト自転車ではないかと思い、サドルの下を見るが、バッテリーの固まりはない。
「まあいい。自分のペースで走ればよい。蕎麦なんだ。蕎麦を食べるだけのことなんだ。急ぐ必要がどこにある。あの年寄りは急いでいるんだ。だから飛ばしてるんだ」
坂上はそう言い聞かせながらも、心持ちペダルに力を加える。
その日の体調でペダルの重さが変わる。今日は普通だ。
坂が終わる寸前で、今までより傾斜が強くなる。
後ろから来た青年が立漕ぎで一気に駆け上った。
坂上の自転車は止まっていない程度のスピードだ。
蕎麦を食べるだけの目的では、ペダルに力は入らない。目的が小さすぎるのだ。
やっと登り切った坂上は、ある決心した。
電動アシスト自転車は買えないが、変速機のある自転車を買おうと。了
2008年11月5日