小説 川崎サイト



トイレの喫茶店

川崎ゆきお



 誰が名付けたのかは分からないが、トイレの喫茶店と呼ばれる喫茶店がある。
 都心のターミナルにあり、有名な待ち合わせ場所近くだ。
 そこに喫茶店があることは分かっているのだが、通路の奥にあるためか、客は少ない。
 ロココ調のインテリアで、近くのチェーン店系喫茶店より値段も高級だが、サービスはよい。
 床に分厚い絨毯が敷かれているのは、やや過剰だ。
 年配の男性が喫茶店の重いドアを開けようとすると、蝶ネクタイのウエイターがさっと開け切った。
 年配の男は店内の壁に向かい小便を始めた。
 そして、さっと出て行った。あっと言う間の出来事だった。
「またか……」
 ウエイターは清掃作業員を呼んだ。
「またですか」
「またっすよ」
「まあ、ここでの掃除は慣れたもんだけどね」
 この喫茶店にはトイレはないが、ここは元々トイレのあった場所だ。
 絨毯が分厚いのは、そのためだとの噂もある。
 酔っ払いが電車に乗る前に飛び込んで来る。長年トイレだった場所なので、よく見ないで入るためだ。
「ここは便所ではありませんと、張り紙しましょうか」
 掃除を終えた清掃員が言う。
「でも、トイレという文字で、余計に間違われますよ」
「ここにトイレがあった頃は便利だったんだけどね。今じゃ、地下の遠いところへ行かないと用が足せないんだよね。最寄り駅が一つ消えたようなもんだからさ。それに、ここのトイレ大きかったしさあ」
 ウエイターは適当に聞き流している。
「作業が終わったら、行ってもらえる」
 マネージャーが作業員を追い出した。
「いくら酔ってても、分かるはずなんだけどなあ」ウエイターが呟く。
「こんな絨毯、敷かなければよかった。色が変わってる」
「ですね……でも、本当に酔っ払ってトイレと間違えるんでしょうか?」
 マネージャーは答えなかった。
 
   了
 
 

 
 

          2006年04月15日
 

 

 

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