小説 川崎サイト

 

画伯とコーヒー代

川崎ゆきお



「こうして、あなたとここでコーヒーを飲むのも、今日が最後かもしれません」
「お体でも?」
「悪くはないです」
「何か、失礼がありましたか」
「いえいえ」
「画伯がこの喫茶店に毎日寄られていると聞いて、私も来るようになったのですが、やはり、おじゃまだったのでしょうか」
「いやいや、そうではありません」
 画伯は小さなスケッチブックを持っている。それが脇に置かれている。
「画伯はここで、構想を練っておられたのではないですか」
「そんなことはありません」
「気になります。理由をお話ください」
「あなたが、悪いのではないのですよ。ですからどうかお気になさらず」
「気になりますよ。言ってくださいよ」
「そうですか、じゃあ……」
 画伯は理由を説明した。
 つまり、コーヒー代がなくなったということだった。
「いやいや、お恥ずかしい限りだ。生活費もままならぬようになりましてな」
「では、週末の岸田さんの出版記念パーティーは」
「残念ながら、会費が払えないので。失礼させてもらいます」
「そんなはず、ないでしょ。先生は岸田さんとは同期で、ライバル関係でしょ」
「それは、関係ない話ですよ。彼とは古い関係ですがね」
「岸田さんに仕事を分けてもらえばいいじゃないですか」
「いやいや、岸田さんも実は苦しいのですよ」
「そうなんですか」
「はい、だから、彼も仕事が減ることは、命が減るのと同じですよ」
「でも、岸田さんは大邸宅をお持ちですよ」
「稼いだときに、建てたものですよ」
「そんなことないですよ。今もテレビなんかに出て、大活躍じゃないですか」
「借金があるのですよ。だから、払わないと」
「ああ」
「僕は、故郷に帰り、草でもむしろうと思います」
「それは残念です」
 翌日から、画伯はその喫茶店に現れなくなった。
 しかし、別の喫茶店に姿を出しているようだ。

   了


2009年2月10日

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