「貴司が変なこと言うのよ」
「子供はみんな変なこと言うさ。大人から見ればね。いちいち驚いてちゃきりがない」
「火の見櫓に登ったと言うの」
喜一は妻に聞き返した。
「どうして、そんな言葉知ってるのかしら」
「火の見櫓なんて、最近見ないなあ」
「田舎へ行けばまだあるんじゃない」
「で、何で、貴司が火の見櫓なんだ?」
「塾に行かなかった言い訳よ」
「だから、何で火の見櫓なんだ?」
「塾に行くとき、火の見櫓があったらしいの、それで登ったんだって」
「上までか?」
「あなたまで、変じゃない? 火の見櫓なんてこの辺にあるわけないでしょ」
「マンションとかの非常階段かもしれないぞ。螺旋階段とか……」
「そんな高い建物、近くにないわよ」
「で、何処で見たんだ?」
「家の裏よ、前野さんの前」
「そこはモータープールがあるだけだろ」
「すぐにばれちゃうウソなんだけど、どうして火の見櫓なんでしょうね」
喜一は、はっとなった。
「どうしたの?」
「あそこに火の見櫓や消防団の詰め所が昔あったんだよ」
「いつの話?」
「僕が貴司と同じ小学生の頃だ」
「じゃ、うんと昔じゃない」
「貴司は親父から聞いたのかもしれないなあ」
「お爺ちゃんから? でもどうして、それが見えるの? あ、見えるだけじゃなく、登れるの?」
「登れないさ」
喜一は昔、登ろうとした。鉄塔に梯子がついていたが、最初の一段目は、子供では手が届かない位置にある。
喜一はロープを引っ掻け、一段目までよじ登ったが、そこから上へは怖くて登れなかった。
「貴司を呼んでくれ」
「塾よ」
喜一は庭から路地を抜け、火の見櫓のあった場所へ出た。
あらためて周囲を見ると、景色は一変している。当然だろう。平屋だった家が二階建てになっていたり、家の透き間は塀で仕切られている。
喜一は、上を見た。
火の見櫓が見えるのを期待して。
了
2006年04月27日
|