小説 川崎サイト

 

幽霊のいるオフィス

川崎ゆきお



 派遣切りにあった坂田は、翌日から行く会社を失った。
 しかし、癖というものは恐ろしい。朝、起きると出勤準備をする。
「もう、行かなくてもいいんだ」
 と、思うものの、平日、部屋にいると落ち着かない。
 習慣になってしまうと、その儀式をおこなわないと不安定な気持ちになる。
 坂田は髭を剃り、ネクタイを締め、ビジネスバッグを持ち、外に出た。
 バッグのメインポケットは空だ。もう取引先に見せる資料は入っていない。
 いつものことを、いつものように執り行うことが安定をもたらす。たとえその内容が空でも。
 そして、駅の改札を抜ける。まだ定期は切れていない。
 都心部手前にオフィスビルが集まる一角がある。ややはずれているため、賃料が安いのだろう。
 いつものようにガードを潜り、近道の裏通りをゆく。
 まだ、長屋風の民家が残っている。その裏道にある飲み屋へよく通ったものだ。
 すべてが思い出になってしまうはずなのだが、坂田はまだ自分は死んでいないと思っているのか、回顧にはしない。
 裏道を抜けると、勤めていた会社のビルの横に出る。
 いつも正面から入らないで、通用口から入る。
 安っぽい雑居ビルなので守衛もいない。
 オフィスは二階にある。だから、通用口から非常階段で上がるほうが早いのだ。
 ドアを開けると、いつもの顔がある。坂田は決まって四人目だ。一分か二分の差だが、いつも四人目なのだ。
 だから、いつもの三人の顔がそこにある。
「坂田さんもそうですか」
「皆さんも、そうなんですか」
 解雇された四人がにんまり笑い合う。
「わたしたち、幽霊ですよね」
「そうそう、まだ成仏していないんですよ」
 会社が始まる頃、彼らは姿を消す。
 朝の儀式だけをすませて。

   了
 


2009年3月11日

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