小説 川崎サイト

 

心療博士

川崎ゆきお



 まだ、こんな所が残っているのかというような古いビルだった。
 吉田は心療博士と言われている人物のいる診療所を訪ねた。
 よくある仕事からのストレスで、体も精神もぼろぼろになっていたのだ。
 まずそのことを博士に話した。
 予約時間は十分だ。博士によると一分でもいいらしい。
 吉田が、この診療所が、こういったレトロビルの落ち着きを利用していることはよくわかった。
 吉田は患者なのだが、古きよき時代のヨーロッパにいるような錯覚を覚えたからだ。
 また、昔の探偵小説にでてくる、事務所のような雰囲気もある。
 いずれも、本や映画で見た記憶でしかないのだが。
 心療博士は、吉田が今まで見たどんな人物よりも立派に見えた。
 その立派さとは、顔立ちからにじみ出る品格だろうか。
 そんな品格が、果たしてにじみ出るとは思えないが、そんなイメージを受けてしまったのだ。
 おそらく、名優の実物を見たときのような感動だろうか。
 吉田はストレスの原因になっているものを、数個並べた。
 心療博士は吉田の目を見ながらではなく、額を見ながら聞いている。
 吉田からすると、軽く見つめられているような感じで、直視されるほどの緊張はない。しかし、どう見ても自分の目を見ながら聞いてくれているとしか思えない。
 穏やかな視線とは、このことだが、実際には額を見ているだけのことなのだ。
 十分ほど話終えたところで、吉田はひと息ついた。もっと喋ることがあるのだが、約束の十分が近いためだ。
「どうだった」
 診療所を紹介した友人が聞く。
「薬とか出さないんだね、あの先生」
「効くでしょ」
「効くねえ。あの先生の人徳かなあ」
「十分で、あの値段は高いけどね」
「いや、十回ほど通ったほどの効果だよ」
 心療博士は精神科の医者ではない。ただの役者なのだ。名も顔も知られていないが、長く小さな劇団で活躍している。
「だまされるよね。あの顔に」
「そうなんだよね。ただ単にそういう顔つきの人だけなんだけどね」

   了


2009年3月30日

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