小説 川崎サイト

 

鳥居のある風景

川崎ゆきお



 季節の変わり目があるように、人生での変わり目がある。吉田の場合、それは就職することになった春先だ。季節としてもちょうどよい繋ぎ目でもある。
 そういうとき、いつもと違うことを考えてしまう。
 それは、子供の頃から見続けているある夢だ。
 夢の内容は毎回変わるが、風景が続いているだけのようなシーンだ。非常に恐怖感があり、この夢を見たときはあまりいいことがない。しかし、この悪夢に関するジンクスは、毎回当たるとは限らない。
 ただ、悪夢だからこそ、悪い知らせではないかと思うだけだ。
 最近その夢を見る頻度が減っていることを吉田は感じた。これは、大人になるに従い、減っていくものだと解釈した。
 そして、今では懐かしむように、その夢を思い出す。
 ふと我に返ったとき、つまり、人生規模で、自分を振り返る機会のあるとき、決まってこの夢を思い出す。
 吉田の生まれ育ったのは少し山深い町だ。夢は、その山の中での映像だった。
 無数の鳥居が立っている。場所は山の斜面で、木や草は何も生えていない荒れ地だ。
 鳥居はどれも古ぼけている。お稲荷さんの鳥居のように集まっているところもあるが、どこが中心なのかが分からない。
 つまり、鳥居ばかりで、それ以外ないのだ。
 どうもそこが、生まれ育った町近くにある山のように思えた。なぜなら、鳥居の近くに海があり、見たことのある島影が見えるからだ。
 吉田は夢の中の風景だと思っていたのだが、実は実在する場所かもしれないと思うものの、そんなことを確かめに行く気さえなかった。
 しかし、最近その夢を見なくなったことで、不思議と淋しいような気になったのだ。
 春休みが終わるとすぐに入社式だ。この節目に、夢の正体を見てみたいと思うようになったのは、どうでもいいことで過ごしたかったのかもしれない。
 吉田は十年ぶりで、その町を訪ねた。父親の転勤で、引っ越し、もう戻る用事などなくなっていたからだ。
 その用事が、夢の正体を見たいという、人には言えないような事柄だが、だからこそ行動が起こせたのかもしれない。それは内なる旅なのだ。
 吉田はネット上の航空写真で、それらしい海岸があることを確かめ、そこへ向かった。
 その海岸は町を囲む山の一つの裏側にあった。
 そして、夢で見た鳥居と対面した。もうかなり倒れており、残っているのはわずかだった。
 吉田の記憶にはないが、きっと小さいとき、見た風景で、どこかに記録されていたのだろう。
 鳥居を立てたのは、この山の持ち主の息子で、少し気がおかしな人らしい。
 現実に見るその風景よりも、夢の中や、それを思い出して見る風景のほうが、奥深く、神秘的だった。
 謎が一つ解けたのだが、解けないままのほうがよかったのではないかと吉田は思った。

   了


2009年4月9日

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