小説 川崎サイト

 

魂を込めた歌

川崎ゆきお



 あるベテラン歌手がふと漏らした言葉がある。
「魂を込めたり、気持ちを入れて歌わない方がいい結果になる」と。
 それを漏れ聞いた歌い手の卵が、その真意を聞きに来た。
「どこで聞いたの」
「業界の人が」
 ベテラン歌手は思い当たることがあったようだ。何度も酒の席で喋ったことがある。だから、遠い人にも漏れ聞こえたとしても不思議ではない。
「それは、公には言わないことね」
「はい」
「表向きは、魂の歌い手と言われているのだから」
「先生の歌は魂にあふれています。気持ちがぐっと入っています。なのに、意外でした」
「私の歌はね、そういうのりの歌なのよ。心のこもったような歌い方ができる歌なのよ」
「でも、歌はやはり、どんな歌でも心を込めて歌うものではないのですか」
「ああ、そこね。それはね。心を込めて歌っているように歌うことなの」
「それは、心を込めて歌っていることと、どう違うのですか」
「心を込めすぎると、出ないでしょ」
「何が?」
「何がって、表情ですよ。仕草ですよ。本当に心を込めたりしちゃ、それが分からないの」
「それは、伝わる人には伝わり、分かる人には分かることじゃないですか」
「あなたはまだ新人だから、分からないの。これは私の経験なの。心を込めて歌っても、込めなくて歌っても、同じ結果だったの。そんなの聞いてる方は分からないのよ。分かるとすれば、表情なの」
「それは、軽く歌ったほうがよく伝わると言うことですか?」
「軽いと、手抜きに見えるでしょ」
「そうですねえ」
「気持ちを込めて歌わないと気が済まない人は、そうすればいいの。大して変わらないけどね。まあ、本人の歌いやすい状態で、歌えばいいのよ」
「先生の歌は、素晴らしいと思います。でも、心がこもっていて、素晴らしいと。そうだとばかり思っていました。それが違うのだと聞いて、ちょっとショックだったものですから」
「心のこもっている風に歌っているだけ。でも、込めすぎると、コントロールできなくなるでしょ。一人でうなっている分にはいいんだけど、誰かに聞かせる場合は、それじゃ伝わらないのよ。逆効果」
「じゃ、気持ちとか、魂はどこへ行くのでしょう」
「そういうのって、ないでしょ」
「はあっ?」
「だから、ないでしょ」
 新人歌手は、その後、熱唱しているようなふりを努めることで、人気が出た。
 よく考えなくても、みんなそうしていたからだ。

   了



2009年4月13日

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