卵
川崎ゆきお
金井老人は痩せ細っている。一人暮らしのせいではない。元々細い人なのだ。
金井老人の朝食は喫茶店のモーニングサービスだ。毎朝きているので、そう思われても仕方がない。
モーニングセットは卵とトーストだ。
金井老人はそれを食べない。
持ち帰って食べるようだ。
「お持ち帰りですか」
よく同席する常連客が聞く。
「はあ?」
金井老人は鶏ガラのような喉から掠れ声で聞き返す。言葉として発声しているのだが、鳴き声のように聞こえる。
「持って帰るのですか」
「あああ あ」
喉の調子が悪いようだ。
「店で食べないで、家で食べるのですか?」
「ああ」
金井老人は紙でトーストを包む。何かのチラシだ。卵はポケットに入れるようだ。
「食欲、ないのですか」
常連客は老人に声かけしているつもりだ。かなり立ち入ったことを聞いている。
「昔ね」
「はい」
金井老人の声が通りだした。
「昔ね、ニワトリを飼ってたんだよ」
「そうなんですか」
「潰すためじゃないよ」
「絞め殺すんでしょ」
「そうじゃなくてね、卵だよ卵」
「カシワじゃなく卵なんですね」
「毎朝生んでるんだ。卵をね」
「はい」
「昔卵は高かったんだ。病気の時しか食べなかったねえ。弁当に卵焼きを入れるのは見栄だよ。見栄。高かったんだ」
「今、卵安いですよね」
「値じゃないよ。卵は貴重品なんだ」
金井老人は先ほどポケットに入れたゆで卵を取り出す。
「モーニングはいいねえ。おまけで卵が付く。パンなんてどうでもいいんだ。これは犬の餌だ」
「でも、大事に包んでいたので」
「ポケットがバターで汚れるからだよ」
「ああ、なるほどねえ」
「じゃ、失敬」
いうなり、金井老人はスポーツ新聞を開けた。
それで、常連客との仕切ができてしまった。
コミュニケーションはそこまでだ。
「あのね」
新聞越しに金井老人が会話を復活させる。
「なんですか」
「もう一ついい忘れた」
「はい」
「ゆで卵じゃなく、生でほしいね」
「あ」
常連客はぽとりと言葉を落とした。了
2009年5月7日