小説 川崎サイト

 

哲学の徒

川崎ゆきお



 年をとると、出来ることが減るようだ。
 子供の頃からいろいろなことをやっていた島田も、中年になってからぐっと絞られてきた。やることが絞られたというより、選択肢がどんどん減っていったのだ。
 今では平凡なお父さんになっている。
「夢がどんどん減っていくねえ」
 同世代の悪友との世間話だ。
「あらぬ夢は見なくなるねえ」
「現実が見えてくるからな」
「で、結局は、普通の人間になるのがゴールかもしれんなあ」
「それさえも難しいよ」
「何でもない人間になるだけでも大変だなあ。最近はそれが夢だ」
「そういうの、夢って言わないだろ」
「そうだな。もっと素晴らしいことじゃないとな」
「この年になると、先が見える。もう半分生きたから」
「このままの世の中が続くと、そうだな」
「君は昔、哲学書を読んでいただろ。あれはどうなった」
 島田は哲学の徒だった。
「ああ、すっかり忘れていたよ」
「決着はついたの?」
「決着?」
「どの思想が一番好ましいか、いろいろ試していたじゃないか」
「今は、そんな大風呂敷開く気はないよ」
「風呂敷だったの」
「いろいろな現象を風呂敷で包もうと思っていたのさ」
「その風呂敷が、つまり思想なんだ。哲学なんだ」
「今頃、どうしてそんなこと聞くの」
「ちょっと、懐かしくなってね。昔よく言い争ったじゃないか」
「今、考えると、自分の意見なんて何一つなかったなあ。全部受け売りだった」
「今は、そういうこと考えないの?」
「哲学かい?」
「そうそう、その恥ずかしい言葉だよ」
「ああ、恥ずかしいなあ」
「まだ考えてる?」
「深く考えなくなったなあ」
「鋭い発想も無理かい」
「無理だな」
「平和でいいよ」
「そうだな。無事に暮らせればね」
「大人になったって、こういうことか」
「そうかもしれない。気づかなかったけど」

   了

 


2009年5月10日

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