小説 川崎サイト

 

ゆるり歩行

川崎ゆきお



 健康維持のため、毎朝人が歩いている場所がある。
 住宅地の中にあり、どこも家が建て込んでいる。そのため特にコースはない。
 だが、いつの間にかそういうコースができている。そこは比較的歩道の広い道路で、道は新しいが並木になっている。夏場は少しでも日陰があるほうが好ましい。
 昔の街道沿いの松並木ではないが、日除け風よけ雨よけの役を少しでも果たしているのだろう。
 長くそこを歩いている老人がいる。
 その老人の歩幅は狭く、一歩一歩もゆっくりだ。そのため、他の散歩者に次々追い抜かされていく。
 老人だが、それほどの高齢ではなく、足が悪いわけでもない。健康状態も程々だ。
 早く歩くと足が痛くなるとか、息が苦しくなるわけではない。
 と、言うことは、無理に遅い目に歩いているのだ。
 よく観察すると、体重移動だけで前足が出ている感じだ。前に体が傾けることで、足を出さざるを得ないのだ。
 リハビリで歩いている人のほうが老人よりも早い。
 しかし、このコースに出ている人は、十分歩ける人で、歩く訓練をしている人たちではない。中には競歩のような歩き方をする人もいる。
 女性のほとんどはダイエット目的で、汗をかくのを由としている。
 でっぷり太った中年男が、その老人に話しかけた。スピードは同じようなものだった。
 その腹からみて、歩く理由がわかる。
「毎朝お見かけしますが、そんなゆっくりでは運動にならないのではないですか」
 もし老人に早く歩けない事情がある場合、失礼な質問になる。ゆっくりしか歩けない人も多いのだ。まあ、そういう人はこのコースに出ないだろうが。
「いやいや、私は運動目的じゃないのですよ」
「でも、みなさん運動目的で、出られているわけでしょ」
「私は散歩が目的でしてね。歩くのが目的じゃないんです。こうしてゆるりと歩いていますとね、景色をゆっくり見られるのですよ」
 特にどうということのない住宅地の風景だ。
「風景ですか?」
「景色ですよ。ほら……」
 老人は植え込みの草花を指さす。
「一晩で、茎があれだけ伸びている」
「ああ、見てませんでしたな」
「あの家の窓のカーテン、違った色になってる」
「ほう」
「と、言うようなことを見ながら、歩いているだけですよ。歩くのに集中すると、見えないんですよね」
「それで、ゆっくりと」
「はい」
 中年男は、納得したようで、急ぎ足で老人から離れ、早足を続けた。
 目的が違うのだろう。

   了

 


2009年5月17日

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