本屋の話
川崎ゆきお
箕田は久しぶりに小説でも読んでみようと本屋へ入った。
いつもの本屋だが、いつもはビジネス書しか買っていない。実用の人なのだ。
本とは実用に役立つものだと、箕田は考えている。いつ頃決まったのかはわからない。きっと子供の頃からだ。
最初に買った本は合気道入門だった。
合気道が学習参考書になり、今はビジネス書になっている。小説が入り込む余地はあまりない。一冊も読んでいないわけではない。歴史小説はかなり読んでいる。これも実用に役立つためだ。
しかし、その日の箕田は心持ちに変化があった。あらぬ世界に浸ってみたい気持ちがわいてきたのだ。これは日々のストレスからの逃避だ。役立たないが、気持ちが落ち着くようなものに触れたかった。
しかし、お金がないので、文庫本コーナーに限られる。最近はビジネス書も新書版しか買っていない。
ずらりと並んだフィクション世界が、かなりの密度で迫ってきた。
タイトルを見ると興味深い本があった。しかし解説を読むと、検事物だった。
ミステリー小説を物色するが、刑事や探偵には興味はない。というか離れすぎている。感情移入しにくい。
旅行物のミステリーも、普通の人がふつうの事件に巻き込まれるのなら、いいのだが、刑事や探偵が主人公では離れすぎる。
箕田は一冊一冊手にし、裏の簡単な解説を読むが、どれも興味がわかない。
一時間ほど探していただろうか。
そこへ本好きらしい店員が声をかけてきた。
「どんな本をお探しですか。よければご案内しますよ」
本棚の案内だろうか。
「今の心情に近い小説を探しているのだがね。普通の人のふつうの話」
「じゃ、恋愛物がよろしいかと」
「もっと地味な話がいいんだがね」
店員は(我輩は猫である)や(草枕)を取り出した。
「いやいや、そういう文学物ではなく、なぜかというと、難解で、わからないから」
「じゃ、どんな感じがいいです。具体的に」
「そうだな。こうして、本屋で、読みたい本がないと思いながら、探しているような話がいい」
「ありません」了
2009年5月27日