小説 川崎サイト

 

丑の刻参り

川崎ゆきお



 丑三つ時がある。夜中の二時過ぎだろうか。
 昔はこの時間起きている人は希で、家の中にいても怖かったようだ。この時間、目を覚まし、布団の中にいても怖い。何かが出るというわけではないが、この時間起きていることがいけないような思いがあった。家の者も全員眠っていただろう。
 怖くて便所に立てない子供もいたはずだ。
 家の中だけでも怖いのに、外に出ることなど、考えていなかったはずだ。そもそも出る用事がない。出るとすればよほどの用事だ。
 この時間、外の出る人は全員丑の刻参りに出る人ではない。藁人形に五寸くぎを打ち、誰かを呪うのだ。頭には鉢巻をし、そこにツノのようにローソクを立てている。この姿を人に見られると、呪いは自分に跳ね返されるとかの説もある。
 では、見た人はどうなるのだろうか。
 単に怖い物を見ただけのことで終わればいいのだが、それ以前に、どうしてその人も、深夜そんな場所にいたのかが問題だ。
 蛭田という老人は若い頃から丑の刻参りをしている。誰かを呪うのではなく、日課だ。
 また、白い着物も着ていないし、ローソクもつけていない。普段着だ。
 神社の境内に大きな木が何本もある。一番太い木は神木らしく、ギザギザの白い紙が縄に無数ぶら下がっている。
 蛭田はその木ではなく、無印の木をマイ神木にしていた。子供の頃からあまり太さが変わらない。
 神社には社殿があり、スサノウノミコトが祭られているが、それは無視している。
 このマイ神木のほうが神が降りてきていると思うからだ。なぜその木なのかの明快な答えはない。何となく枝振りがそう見えるからだ。
 蛭田は子供の頃から毎晩、この丑の刻参りを続けている。家業は農家だが、今はマンション経営者だ。
 子供の頃から毎晩続けられるというのは、生活環境がほとんど変わらないためだ。
 別に人に見られても平気だ。最近は夜中でも明るく、人や車も結構いる。
 それで、何か御利益があったわけではない。あるとすれば、このお参りが続けられるということだ。

   了
 


2009年5月28日

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