人生設計
川崎ゆきお
畑山は常に考え方が後ろ向きだ。前を向いて歩くのではなく、後ろを向いている。当然だが、道を歩くときは前を向いている。前を見て歩いている。そうでないと危ないからだ。
明日を見据え、未来を見据えた行動ではないと、よく批判される。畑山にそういう発言がないためだろう。積極的な意見が少ないため、前向きではないと思われているのだ。
畑山の未来は子供の頃の楽しかった時代がターゲットになっている。これは確かに過去だ。そして、後退だ。
だが、畑山は子供っぽくない。
子供時代の楽しかった頃というのは再現できない。だから、現実にはあり得ない。到達できない。過ぎてしまうもので、戻れない。
「何がやりたいのか、はっきりしないとだめじゃないか」
同僚が説教する。同じ世代だ。
「目的を作り、それに向かうことが大事なんだ。無目的じゃ、効率が悪いだろ。それに人間としてもはっきりしない」
「そうだね」
畑山はいつも聞き流している。
「人生には目的が必要なんだ。何かをなすため、人はこの世に生まれるんだ」
「臭いなあ」
畑山はうんざりし、つい言ってしまった。
「臭いとは何だよ」
「それも考え方だと思うけどね」
「だから、臭いって、何だよ」
「いやいや」
「ごまかすなよ。何が臭いんだ」
「説教臭いなあと」
「説教がどうして臭いんだ」
「ああ、人間臭いという感じかな」
「僕の人間性が臭いのか」
「いやいや、人間性はそもそも臭いものだと思うから、君だけの問題じゃないと思う」
「人生について、前向きに考えることが臭いのか」
「えっ、前向きだったの」
「そうだよ。これから、どうすればいいのか、考えるんだから、前向きだよ」
「そうだね」
「簡単に同意するなあ。歯ごたえがない奴だ」
「いやいや」
「まあ、それが君の性分なんだから、仕方がないにしても、そういう性分を活かすような生き方を考えたらどうだ。いい機会じゃないか。人には性分があり、また、役柄がある。無駄な人間なんて、一人もいない」
「はいはい」
「人生設計が必要なんだ。こういうことを考えることが必要なんだ」
「そうだね」
「よし、じゃあ君は何になりたい」
「子供の頃のように、何も考えないで遊んでいたような。かな」
「えっ、何それ」
「あ、客だ」
「十六個入り二つください」
「ヘイ、毎度」
二人はたこ焼きを焼きだした。了
2009年6月2日