面接担当者の論理
川崎ゆきお
人は自分に都合のよい論理を採用するようだ。自分がそうだから、人もそうだとは思わないまでも、世の中を自分の論理で捉えがちだ。これはどう捉えてもかまわないのだが、自分の理屈が普遍的なものではなく、自分に都合のよい理屈だと言うことを肝に銘じる必要がある。
富田は自分の意見を言うとき、自分に都合のよい意見になってはいまいかと、たまに考える。
富田にも都合はあるが、それが出てはしまいかと反省する。我が事のことを単に言っているように聞き取られると困るからだ。
それは内面を見せることになり、これは見せたくないのだ。
その内面とは、欠点だろう。弱い箇所だろう。そこをガードするために、妙な論理を作り出すことが多いからだ。
富田はバランスのとれた性格で、特に優れた面もないが、苦手なものも少ない。
だから、自分の得意なコースに相手を引き入れるような論理は使わない。得意技がないのがその理由だ。
また、欠点も少ないので、それをガードするよう仕掛けも必要ではない。
あるとすれば、特殊な論理を嫌うことだろうか。
富田は人を見る目があるということで、人事課にいる。
自分の好みよりも、会社が必要としている人を見極めることが大事なためだ。
富田は面接できた人間の論理を読みとるのが好きだ。
その人がなにを見せようとしているかより、なにを隠そうとしているのかを観察する。
人間はその長所より、欠点を見る方が、よりその人の本質が見えると思っている。
大きな長所を言うことは、大きな欠点を隠していることと解釈する。
ただ、面接での本人の発言は、ほとんど空ら手形であることが多い。だから、そういうのは適当に聞いている。
自分のことを語りすぎる人は、要注意で、語らなかったことを探す。
結果的に富田は平凡な人間を採用している。
よく考えるとそれは、自分の論理に合った人を、やはり採用していることになる。
自分と同じであまり特徴もなければ、大きな欠点もない人間ばかりだ。
やはり、自分と似ている人間を選んでしまうようだ。それで、毎回反省しているが、特に優れた人間がいない会社になってしまった。
しかし、中途退職率は低い。了
2009年6月14日