選択できない
川崎ゆきお
選択に困っていないが、どちらかを選択しないといけないことがある。では、選択に困っていることになるのだが、どちらを選んでもいいと言うことでは、選択が問題なのではない。
どちらでもかまわないのだから、どちらを選んでも正解だ。それなら、どちらか一方を選んでもよい。正解なのだから、困らない。
しかし、これは一番難しい選択なのだ。選択の必要性がないのに、選択するためだ。
優劣もなく、どちらも好ましいのだから、選ぶ方が間違っている。
どちらも捨てがたいわけではない。どちらを選んでも同じだからだ。
吉田はそういう選択に迫られていた。選ぶ行為を選べないのだ。選ばないと言う選択がないのだ。
人生は一度きりだ。そんな大層な問題でなくても、一方を選べば一方を捨てることになる。
両方選ぶことはできない。どちらも選ばないこともできない。
本当にどちらでもいいのだったら、サイコロで決めてもいい。
吉田はそれにすることにした。つまり、自分で判断することを避けたのだ。
この場合、吉田は実は選択している。それは、サイコロで決めることを選択したのだ。
だが、吉田はサイコロを持っていなかった。それならトランプでもいい。赤いマークか白いマークかでもいい。
だが、吉田はトランプも持っていなかった。
つまり、吉田は選択を託すアイテムを選択しているのだ。
十円玉があった。この裏表で決めればいい。
吉田は十円玉の表と裏は知っている。これは、どちらを裏にするか表にするかは考えなくてもいい。決まっているからだ。
だが、表が出た場合と裏を出た場合を振り分けないといけない。この選択は二者択一だ。
そこでまた、吉田は考えた。表にどちらを選ぶかだ。それで必然的に裏も決まる。
ここですでに選択しているのではないだろうか。
どちらの選択を表にするかを決めるわけだ。これもどちらでもかまわない。
しかし、その順序を決める必要がある。
おそらく、表になったときの選択が優位になるのではないかと思われる。
もし、吉田がそんなことを考えないで、さっさと決めてしまえば、もう、十円玉を振る必要はない。表に設定した側が本命なのだ。
しかし、その順序を考えたばかりに、ここでもストップした。
吉田は自分の手を使わないで、自分の判断を使わないで、偶然に決まる方法はないかと考えた。
誰かに選んでもらうことだ。
しかし、この場合も、どちらを先に言うかによって、順位が決まってしまうので、十円玉の表裏と同じだ。割り振らないといけない。
どちらを選択してもかまわない選択は難しい。選択が難しいのではなく、選択方法が難しいのだ。
それで、吉田は決めかね、そのまま放置した。了
2009年6月27日