尾を振る階段
川崎ゆきお
夢の中でしかないようなシーンがある。真北はそれを語りだした。
「空室が多いアパートなんだ。その二階に部屋を借りていたんだがね。家族でも住めるような間取りだ。風呂はないが、部屋は二つと台所だ。トイレはある」
「ワンルームマンションより広いですねえ」
「それに安い。木造モルタル塗りの二階建てだ。私はその二階に一室を借りていた。正確には一部屋じゃないがね」
「二部屋あったのですね」
「まあ、部屋数が問題ではなく、ふつうに住める住居だ。昔の長屋だと思えばいい」
「落語に出てくる長屋しか知りません。借家が繋がっているよう感じでしょうか」
「だから、部屋数が問題じゃなく、古くなっているし、風呂もないので、入る人がいなく、出る人が多い」
「安くて広ければ、いい物件じゃないですか」
「風呂がないからね。近くに銭湯があったが、閉鎖した。だから、時代から取り残された集合住宅という感じかな」
「それで、妙な夢とは、何でしょう」
「ああ、それを語るのを忘れておった。わしは二階の部屋を借りていたのだが、問題はその階段なんだ。鉄骨でくっつけてあるんだがね。急階段だ。傾斜がきつくてね。隣におばあさんが住んでいたんだが、きつそうだったな」
「その階段の怪談なんですか」
「怖い話だが、神秘なことはない」
「では、どんな」
「二階のそのおばあさんも引っ越し、結局二階はわし一人になった。一階にはまだ二所帯住んでいたようだが、倉庫代わりに借りている人と、事務所にしている人でね。本当に住んどるのは、わしだけになった」
「階段はまだ出てこないのですか」
「今、語ろうとしておるところじゃ」
「はい」
「階段の取り付けが悪くなったのか、泳ぐのじゃよ」
「揺れるんですか」
「壁と接しておるんだが、はずれておるようでな、歪むんだ」
「危ないですねえ」
「犬の尻尾のように、階段が尾を振るんじゃ。それに、手すりもぐらぐらしておるし、錆びていつ壊れるか分かったもんじゃない」
「階段が尾を振るって、それはもう壊れているんですよ」
「動いた場合、押せば元に戻る」
「すごい力ですね」
「手すりを引っ張ると、階段が振動する」
「緩みすぎですねえ」
「それで、階段を上がるのが怖くてね。上がっても、今度は下りるとき、怖い」
「階段は一つですか」
「もう一つあるが、そちらは完全に腐っておる。ひもで封鎖してある」
「それはどこまでが夢なんですか」
「階段が尾を振るあたりかな」
「じゃ、それは夢で、実際には階段がずれたりはしていなかったんですね」
「その寸前だったと思う。だから、予知夢ではないかと思う」
「で、そのアパートはどうなりました」
「取り壊されるまで、借りていたよ。家賃はもう払わなくてもよくなったがね。取り壊しが決まってから一年ほどはこっそり使っていたんだよ」
「今は、引っ越されているんですね」
「ああ、もう取り壊されたからね」
「じゃ、その一年の間の階段の上り下りが、夢で出てきたわけですね」
「そうだ」
「よくありますよ。階段の段が急に高くなって足がかからないほどになるような夢とか。まあ、階段が尾を振るのは珍しいと思います」
「何か、意味があるかね」
「ユニークなイメージという程度です」
「そうか」了
2009年6月28日