仏間
川崎ゆきお
どうしてお婆ちゃんは仏間に寝かせるのだろう……。 と、正一は田舎のお祖母さんを恨んだ。 大きな屋敷なのだから、いくらでも布団を敷ける部屋がはあるはずなのだ。 よりによって、一番怖そうな仏間に布団を敷くなんて、お祖母さんの意地悪としか思えない。 こんなことなら、一人で田舎に来なければよかった。 小学校四年の正一は、両親と都心の高層マンションに住んでいた。周囲はコンクリートに囲まれ、僅かな緑が下の公園にあり、申し訳程度の砂場があるだけ。 小学校に入学する頃には、もう砂場も公園も卒業していた。 父親の正併が田舎での暮らしを聞かせてくれた。中学まで、その村で暮らしていた。 夏休みが終わる頃、正一は一人で高速バスに乗り、父の田舎へ来た。 お盆にも来ていたので、この夏、二度目となる。 本当の人間らしい暮らしは、こんな都心のマンションではなく、田舎の普通の村の中にあるんだ。だから、ここでの暮らしは特殊なので、本当の暮らしとはどんなものか、今度は一人で体験して来なさい……と言われた。 まさか仏間で一人で寝ることになるとは、正一は夢にも思っていなかった。 お盆に両親と来たときも、その仏間で泊まったのだが、今夜は一人だ。 そこが仏間であることさえ、そのときよく分からなかった。 一人で布団の中に入ってみると、いろいろなものが目に入った。 正一から見て右側に仏壇がある。扉は開いており、奥は薄暗い。 天井の蛍光灯は消され、豆電球だけが灯っている。 先祖代々の写真が飾られているが、左端の額は肖像画で、写真ではない。右端はカラー写真で、去年亡くなったお祖父さんだ。正一の父の父なので血は繋がっており、正一は孫になる。 年に一度程度しかこの村へは来ないので、お祖父さんと孫の関係と言っても馴染みは薄い。 この夏、初盆だったが正一はその意味さえ知らない。お祖父さんの葬式の日は遠足だったので、来ていない。 孫の中で葬式に参加しなかったのは正一だけだ。 父の正併は、このお祖父さんが嫌いだったらしく、無理にでも連れて来るようなことはしなかったようだ。 正一はお祖父さんが死んだと聞いたときも、別に悲しいとも思わなかったし、ショックも受けなかった。 祖父と孫との関係が出来ていないためだろう。 目が慣れたのか、豆電球の明かりでもお祖父さんのカラー写真がよく見えるようになった。 よく見ると父の正併に似ている。正一は正併似なので、お祖父さんは正一にも似ているはずだ。 正一も年を取ればお祖父さんのような老人になるに違いない。 しかし、そんなことを思うゆとりは今の正一にはない。とてつもなく怖い空気が仏間を満たしており、眠るに眠れない状態を脱したいことで、頭が一杯なのだ。 お祖母さんは怖がらせようとしている……正一はそれ以外、この怖い状態を説明出来ないと信じた。他の理由を考えるのが怖いため、それを信じることに努めている。 怖さの原因は何処から来ているのか分からなかった。仏間で先祖代々に囲まれながら寝ている状態が落ち着かないのだろう。 ★ 誰かが見ている。 正一は何者かの視線を感じているのだ。それは見られている……意識されている……という感じで、学校の教室でも、その感じを受けた経験がある。後ろを振り向くと、友達が、じっと見ていたのだ。 後ろに目があるわではない。空気で押されるような圧迫感があった。 今も、正一はそれを感じている。 仏壇は正一のすぐ右側にあるが、距離はかなりある。肖像写真はその仏壇側の壁に飾ってある。 しかし、正一が感じる視線は真上から来ている。 正一はムクリと上体を起こし、左上を見た。そこは壁ではなく、庭を向いたガラス戸で、今は開け放たれ、網戸だけになっている。 その網戸の上に鴨居がある。 その鴨居にも額縁が乗せられている。写真ではなく、表彰状のようなものが並んでいた。 正一は立ち上がり、その左側の額を見た。視線がそこから来ているため、見回す感じではなく、すぐに、それが目に入った。 小さな写真が大きな額の中に、アルバムの中の一枚の写真のように貼り付けられていた。 気配は、その小さな写真から発せられていた。 正一は薄暗がりの中でもはっきりと、その顔を見た。 そして、その位置で倒れ込んだ。 正一が意識を取り戻したのは翌日の昼過ぎだった。 同じ仏間に寝かせられている。 午前中、村医者が往診に来た。暑気中りだろうと診断した。 隣の部屋から母の声が聞こえる。迎えに来たのだろう。 正一はすっきりとした顔で、布団から出た。 そして左側の鴨居に乗っている額を見た。 昨夜見た小さな写真を恐る恐る覗いた。 坊主頭の少年がいた。村の小学校の制服姿で、白黒の写真は黄ばんでいた。 「そのお兄ちゃんは、お祖父さんのお兄さんでな。病気で亡くなったらしいよ」 仏間に入って来たお祖母さんが説明する。 正一は言い出せなかった。 そのことは一生黙っておこうと思った。 正一が昨夜その写真を見たとき、そこに写っていたのは正一とそっくりな男の子だった。 了 |