炎の木
川崎ゆきお
その喫茶店へはいつ頃から行くようになったのか、また、どうして通うようになったのかさえ忘れてしまうほど、初期の目的が欠落している。 家からその喫茶店まではかなり距離がある。 初期の目的、おそらくそれは散歩だったように思える。徒歩ではなく、自転車による散歩。決して歩くわけではないので、散歩というのはおかしいのだが、やっていることは散歩とかわらない。 数年前のこと、何か考え事をしたくて自転車に乗り、南西へ向かった。 子供の頃からその方角が好きだった。反対側は学校や市街地や工場で、南西側は田畑が広がっていた。 つまり、考え事には、その方角が好ましい。景色も田園風景が広がり、農家が点在している。 その喫茶店は、その田園風景を抜け、さらに住宅地を抜けたところにある。 小さな駅があり、駅前に申し訳程度にある小さな喫茶店だ。 自転車で、その駅まで辿り着き、休憩で入ったのが始まりで、それから十年近く通っている。 十年前、果たして初期の目的を果たせたのかどうかは忘れてしまった。考え事をしていたのだが、何を考えていたのかさえも忘れたのだ。 その後も考え事が多々あり、十年前のネタなど覚えてはいない。 おそらく、考えが纏まらないまま、終わったのではないだろうか。なぜなら、その後も考え事は沢山あったが、一つとして纏まったことがない。 説明しにくい道を、その日も自転車で走っていた。行く道と帰る道とではコースが違う。 家から見て、南西の地はだだっ広い田畑の広がる風景だったのは子供の頃までで、今は新興住宅が立ち並ぶ市街地なのだが、その中に埋まり込むような感じで村の残骸も残っている。 喫茶店からの帰りルートは、その残骸を踏むように作った。 しかし、今では単なる癖となり、いつの間にか、そのコースを辿っている。 自動操縦ではないが、自然に曲がるべきところで曲がり、真っすぐなところはそのまま進む。 住宅地の細い道や、農道だった道ばかりを辿るので、車との接触は殆どない。 信号のある交差点は避け、一気に幹線道路を渡れるコースを作っていた。 ところが半年ほど体調を崩し、自転車散歩に出なくなった時期がある。 そして元気になり、再びその散歩を再開したときのことだ。 炎の木を発見した。 その木は有名でも何でもない。名前も私が子供の頃に付けたものだ。 その日は半年ぶりで、このコースを通ったため、景色が新鮮に見えた。いつも見てはいるものの、しっかりとではない。 半年のブランクは多少はあり、曲がる場所を間違えたりした。 そのお陰で、炎の木を発見したのだ。 こんなに間近で見るのは初めてだった。また、それが炎の木だと気付くまでワンタイム遅れた。 位置的には合っていた。 子供の頃、一人で畦道を歩いていた。家から見て、南西の方角だ。果てしなく田畑が広がり、海原を泳ぐような心細い状態で、先へ先へと進んだ。 その畦道の先には何があるのかを探る、ちょっとした冒険だった。 後ろを振り返ると鎮守の森が見える。巨木が聳えており、それが見えている間は、引き返すことが出来る。 しかし、夢中で進むうちに背後の森も小さく、豆粒ほどとなり、方角を見失う恐れが出た。 近所では見たことのない小鳥がいた。雀より少し大きく、耳のような尖りが頭から出ていた。それを撃ち落とそうと、パチンコで追いかけているうちに、後ろを振り向くのを忘れていた。 近所の畦道にはない丘のような堤を乗り越え、小鳥を追いかけた。 丁度よい角度で小鳥がとまっていた。撃ちやすい角度だ。 私は畝の中で腹ばいになり、パチンコのゴムを引いた。 ぴしっと指に激痛を感じた。強く引っ張り過ぎ、ゴムが切れた。 耳のある鳥はさっと飛び上がった。 その方角を目で追った。村の方へ飛んで行った。 この田畑を耕している村だろうか。屋根が小さく見える。 そして、炎の木がそこに大きく立っていた。村の木だ。 鎮守の森とは独立し、ポツンと立っている。その形が炎に似ていた。 今、私は住宅地の中で自転車の上からその木を見ている。あの村が、この場所だったのだ。 炎の木は意外と小さかった。二階建ての屋根よりも低い。 耳の尖った鳥の向こう側にあったその木は、不気味な塊で、不吉な形をしていた。 炎の木はまだ葉を茂らせ、生きていた。根元に祠があり、粗末な地蔵が祭られている。胸当ては色あせ、供え物の花は枯れていた。 子供の頃、この木の下へは行けなかった。見知らぬ異国に行くようなものだ。 しかし南西の大平原に出たとき、目印のように、いつも炎の木が燃えていた。その木が見えると引き返さないと拙いことを教えてくれた。沖へ出過ぎた感じなのだ。 その、辿り着けなかった村の道を、私は長い間自転車で通っていたのだ。 耳のない鳥がいた場所は住宅地となり、特定するのは困難だ。 海原は埋め立てられ、炎の木も灯台の役目を終えている。 了 |