小説 川崎サイト



不審者

川崎ゆきお


 

 寝起き、髪の毛もとかず、不精髭のまま私はいつものようにバス通り沿いの喫茶店へと向かった。昼をかなり過ぎているが、まだ夕方ではない。
 仕事場として借りた安アパートで、いつの間にか寝泊まりするようになったものの、実家は歩いて行ける距離にある。
 バス通りへ向かう道は小学生時代の通学路で、さすがに四十年も経つと道沿いの景色も激変している。
 しかし、道は昔のままだし、学校近くの神社も変化していない。
 下校時なのか、子供達の集団と何組もすれ違う。
 私は起きる時間が不規則なので、喫茶店へのこの道を同じ時間に通っているわけではないが、よく見かける光景で、私が卒業してからも綿々と続いているにちがいない。
 私は胸のポケットからデジカメを取りだし、そっとシャッターを押した。一瞬のことなので誰も気付かないのか、それとも話に夢中で無視しているのだろう。
 次に来た集団に大人が混ざっていたので、私は写さないことにした。
 神社前で、その集団とすれ違ったとき、その大人が振り返って私を見た。中年のおばさんだった。
 その女は立ち止まり、私のことをじっと見ている。
 見覚えのない顔だ。私は不審に思うと同時に、不快感が波打った。見知らぬ他人に見つめられる覚えはないからだ。
「どうかしましたか?」
 私は気味が悪いので聞いてみた。
 女は何も答えず、小学生の集団に戻った。
   ★
 翌日、私は同じ時間に起き、同じ道を通った。そして、下校中の小学生の小集団とすれ違う。カメラは取り出さなかった。
 校門を通り過ぎるとき、保護者だろうか、普通の主婦が立ち並んでいる。私は参観日の帰りかと思った。
 門の前を通過中、主婦達の視線が私の全身に突き刺さっているのを感じた。
 私は得体の知れない不安感に襲われ、速足で校門前を通過した。
 私は昨日と同じように、モシャモシャの髪をオールバックにし、かなり伸びた不精髭、そして写真撮影での作業着である迷彩服を着ていた。ポケットが多いので気に入っていたのだ。
 小学校近くの神社は下校中よく寄り道した場所だ。今でも境内の中は知り尽くしており、見慣れた風景になり過ぎたためか、そこに神社があることすら意識しないほどだ。別のことを考えながら安心して歩ける道でもある。
 ところが、その風景が違っている。
 私は鳥居下の石に腰掛け、タバコに火をつけた。
 改めて、その道について思いを巡らせるためだ。小学生時代の自分は、どんな気持ちでこの通学路を歩いていたのだろうかと。
 小学校低学年の頃の記憶はほとんど残っていないが、近所の女の子と同じクラスになり、一緒に帰ったことがある。いじめられっ子だったその子は、いつも一人で帰っていた。道筋が同じなので、何度か一緒になったが、アベックアベックと同級生が冷やかすのでやめてしまった。
 通過して行く子供達を見ながら、昔のことに思いを巡らせるのも悪くない。
 それを打ち破るかのように、私の前に女が立っていた。
 女は昨日の女だった。
「何か用事かな?」
 女は黙っている。何処にでもいそうな家庭の主婦だ。私はこの手の婦人との付き合いはない。
「昨日も見ていたねえ」
「あのう……」
 女は、そう声を発しながら後ろを見た。校門前にいた仲間が遠目でこちらを見ている。
「何の用ですか?」
「だから、それは僕の台詞だよ」
「児童に何の用ですか?」
「子供に用事はないけど」
「児童に変なまねをしないようにお願いします」
「君は親猫か?」
 女はどう反応してよいのか困っているようだ。
「で、結局君は何をここでしているのだ」
「警護です」
「では、警護を続けなさいな。僕など無視して」
「他の保護者からも通報が入っています。あなたが危険人物だと。ずっと児童の様子を伺ったり、校門の中を覗いたり、写真を写したり……」
 女は一気に喋った。私は彼女達が何を考えていたのかを理解した。
「私達保護者や自治会は怪しい外来者から児童を守っています」
「御苦労だな。だから、続けなさいな」
 女は後ろを向き、仲間に合図した。
 同じような年格好の主婦達が近付いて来た。
 私は動物のドキュメンタリ番組を思い出した。子供を持つ親の強さを連想し、これは太刀打ち出来ないと感じた。しかし私は何一つ悪いことはしていないのだし、言い掛かりをつけてきたのは、この親猫たちだ。
 石の上で腰掛けている私を親猫たちが取り囲んだ。私は別のことを考えてしまった。それはこの石の腰掛けなのだが、小学生時代は石の鳥居として立っていた。いつ崩れたのかは忘れたが、そのまま放置されている。そんな石に腰掛けている行為をとがめられるのなら理解出来るだろうに……。
「これ以上児童や学校に何かしようとウロウロされるのでしたら、しかるべき手段に出ますが、よろしいですか!」
 リーダーらしき女が、甲高い声でまくし立てた。
「だから、何が問題なのかね」
「あなたが不審者だからです」
「僕は道を歩いているだけだ」
「昼間からおかしいです」
「僕はこの近くに住んでいる」
「分かっています。この先の怪しいアパートでしょ」
「怪しいだけは余計でしょ。住人に失礼だ。アパートにも家族がいるし、この学校に通っている子がいるはずだよ」
「知ってます。義務教育じゃなければ退学してもらいたい生徒だと聞いています」
「君達はいわゆる教育熱心なPTAの人達か? 道理で話がキツイと思った」
「PTAとは違います。児童の安全を守るための自衛組織です」
「何から子供を守るのだね」
「怪しい外来者からです」
「君たちこそ、怪しい外来者ではないのか」
 親猫たちは意味が分からないようだ。
「君たちは何処から来た?」
「家からに決まってるでしょ」
 一人の主婦が答えた。
「その家に、いつ引っ越して来た」
「十年前、結婚してここに住んでます。持ち家です」
 横の主婦がちょっと嫌な顔をした。
「余計なこと説明しなくてもいいわよ」と、注意した。
「その家が建つ前の風景を僕は知っている」
「場所をまだ言ってませんよ」
「言わなくても分かるさ。田圃だった場所だ。そこに移り住んだ君は他所者だ。僕らにとっては見知らぬ外来者だったわけだよ」
 親猫たちはペースを狂わされたようだ。
「この道は、あの小学校がまだ木造校舎だった時代、僕は通っていたのだ。田圃とこの神社だけがポツンとあったよ。どうなんだ、それでも僕を怪しい外来者だと言うのかね。代々この神社の氏子だし、その先の寺には先祖代々の墓もある」
 親猫たちは、動揺したのか、互いに目配せしている。どう対処すればよいか迷っているようだ。
「僕を警察に通報する前に、校長に会わせなさい。僕の同級生だ」
 この言葉が決定打になったようだ。親猫たちは目を伏せながら引いて行った。
   ★
 その翌日、私はアパートを出た。家賃を半年分未払いだったため、追い出されたのだ。
 
   了
 
 

 


          2003年5月6日
 

 

 

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