小説 川崎サイト



大阪ランチ

川崎ゆきお


 

 その昼時、私はあっさりとしたものを食べたかった。朝から腹の調子が悪く、胸焼けもひどかった。
 しかし、昼近くになると、食欲が沸いてきた。昨夜はうどんだけを食べて眠り、今朝は抜いていた。午後から仕事が忙しくなるはずなので、それなりに食べておく必要がある。
 オフィスのアナログ時計の針が十二時を回ったのを合図に、同僚たちは急ぎ足で飛び出した。昼時は混雑するため、一分でも早く飲食街へ急ぐ必要があるのだ。
 地下街に降りた私は和定食を出す店へと急いだ。地下街はデパートとも繋がっており、そこの飲食街に目指すメニューがあった。
 学生時代から、その店へはよく行っていた。今日のようにあっさりとしたものが食べたいときに利用した。
 その店は和定食ではなく、天麩羅ものを得意としている。和定食はメニューの隅っこに記されているのだが、結構人気がある。天麩羅とかの油っこいものを食べたくないときもあるはずで、あっさりとしながらも、それなりにボリュームのある和定食は、飲食街でのオアシスだった。
 私は出汁巻き卵や千切り大根、高野豆腐や野菜の煮物の皿を頭に浮かべながら、デパートの入り口を抜け、さらに地下二階にある飲食街へ降りた。
 さすがに昼時で、前へ進めないほど人が多い。近くに務めている人以外に、買い物客も加わっているため、他の飲食街より来る人が多い。
 私はかなり空腹感を覚えている。痩せているため、早急に何かを胃に入れないとバッテリーが切れてしまう。
 しかし、すぐ目の前に和定食のある天麩羅屋がある。あと少しの辛抱だと思いながら、かなり乱暴な進み方で目指す店の前にたどり着いた。
 その光景は予想外のものだった。いつの間にこんな状態になってしまったのだろう。入り口の壁に沿って客が並んでいるのだ。他の店はそんな状態ではない。トンカツ屋とラーメン屋はノーマルな状態だ。
 その天麩羅屋だけに人が並んでいる。
 しかし並んでいる客は私と似たようなビジネスマンで、さらに似ているのは、胃弱そうな顔付きで背を丸めていることだ。
 これは明らかに一つのことが言える。つまり、私と同じようにあっさりとした和定食を食べに来ているのだ。決してメインの天麩羅定食の客ではないことを保証してもよい。
 私も、この店の天麩羅定食を食べたことはある。しかしエビは小さく、野菜の天麩羅で盛り付けを多く見せているだけで、その割りには高いのだ。さらに、野菜の天麩羅は必要以上に衣が分厚く、全部食べ終える前に胸焼けが始まる。そのため、天麩羅定食が評判を呼び、客がこんなに並んでいるとは思えない。
 私はそれを確かめるかのように、入り口から店内のテーブルを観察した。案の定、和定食を食べている客が殆どだ。
「他のお客様がお並びなので、よろしく」
 割烹着姿の中年女に注意された。
 私は、その一言で、二度とこの店には来ないと決心した。
 しかし、隣のトンカツ屋で油っこいものを食べるのは、死を見るより明らかだ。さらにラーメン屋も駄目だ。年々スープが濃く、しつこくなっており、あっさりとしたラーメンは、立ち食い蕎麦屋についでのように置いてあるラーメンになる。しかし、胃の調子が悪いとき、立って食べるのは苦痛だ。
 私はデパートの地下二階から退散した。
 和定食への拘りを捨て、新たな気持ちで地下通路へと向かった。
 人が不規則に入り乱れる地下鉄の改札前を潮に流されないよう通り抜け、次に目指すは名古屋味噌煮込みうどんだった。
 腹具合が悪いというか、腹に締まりがないとき、土壁のような赤味噌を胃に流し込めば、ギュッと締まるのではないかと考えたからだ。
 急がないと昼休みが終わってしまう。私は空腹のため、目眩を起こしそうになっている。
 味噌煮込みうどん屋の手前で、和定食を発見した。
 出汁巻き卵の他、刺し身や野菜の煮付けなど数種の皿が膳に乗っているサンプルがある。惜しいかな量が多すぎる。それに値段も高い。この腹具合で、法事の膳のようなセットは負担が大きすぎる。だが、店内を見るとよくすいている。足は店内に向かおうとするが、胃と財布が動かない。
 迷うことが一番危険な行為だと決心し、計画通り味噌煮込みうどんの店へと歩を進めた。
 次の誘惑が私を襲った。喫茶店で軽くサンドイッチでも食べた方が無難で手っ取り早いのではないか、とだ。
 サンドイッチなら無数にある喫茶店の何処に入ってもかまわない。ついでにコーヒーも飲んで一服出来る。
 私は喫茶店の前でサンプルを見た。そして視覚的にそれを見たとき、決心がぐらついた。パンではなく、ご飯かうどんが食べたい。ねっとりとした舌触りがパンにはない。
 私は迷いを捨て、味噌煮込みの店へ向かった。
 ところが、私は狐か狸にでも化かされたような錯覚を覚えた。
 名古屋味噌煮込みうどんの店がないのだ。場所を間違えるはずはない。通り過ぎたのではないかと思い、引き返す。
 そしてそこで見たのは入り口のシャッターだった。既に看板もなく、プレートも真っ白になっていた。
 私は、もうどうとでもなれと思い、いっそのこと牛丼屋にでも入ってやれと、やけっぱちになった。
 さすがにびっしりと敷き詰められた肉片を想像し、自殺行為から回避した。
 昼時なのだ。昼休みなのだ。もっと楽しく過ごすべきだ。お金が無くて昼ごはんが食べられないわけではないのだ。
 時間的な問題もあり、私は妥協点をどこかで見極めなければと思いながら、地下街の階段を上がった。その先にJRの高架があり、その下に飲食街があることを思い出したからだ。ガード下の飲食街とはいえ、一見してそれと分からないほど、この辺りは入り組んでいる。
 目先を変えることで、すんなり店に入れるのでは、と考えたのだ。
 串カツ屋、鉄板焼きの店、焼き鳥屋などが並ぶ飲み屋通りなのだが、昼メニューで定食も出している。
 しかし、気分的に昼から飲み屋の暖簾をくぐるほど、私は浮かれた気持ちになれない。昼食後はすぐに仕事に戻らないといけないからだ。
 飲み屋に挟まれるような感じで、私は定食屋を発見した。もしかすると一度入った覚えがあるかもしれない。その記憶に間違いがなければ、かなり安い洋食屋だ。
 案の定メニューを見ると、記憶に近いランチメニューが並んでいた。改装したのだろう。雰囲気は違うが中身は同じだ。
 腹具合が悪く、飯屋回りで疲れた私は、この店で腰掛けたかった。
 だが、フライものを食べるだけの胃の力があるかどうかが心配だ。そこは空腹感が力業でねじ込んでくれるはずだ。
 初期の目的とは異なるが、たかが昼食の選択なのだ。国家の一大事を選択するわけではない。
 私にとって救いだったのは、青々としたキャベツが山のように盛られたサンプルだ。このキャベツの山にもたれ掛かりながら、フライものを食べれば、油のもたれも、もたれ勝ちすると感じた。躊躇している暇はない。私は店にすんなり入った。
 驚くべきことに、昼時なのに客が少ないことだ。U字型のカウンターに飛び飛びにいる客は、どの顔も疲れ切った表情を露骨に出しながら、ゆっくりとしたペースで食べている。
 私はサービスランチを注文した。既に用意されていたのか、瞬時に出てきた。勘定は前払いなのも、記憶にあった。
 早いのはよいが、緑の山などどこにもなかった。長年大阪梅田の飲食街で食べてきたのだから、サンプルとは違うものが出てくることなど分かりきっているではないか。何を今更騒ぐことがある。
 キャベツは白く、芯のあたりだろうか、かなり細かく切らないと危ないためか、必要以上に細く刻まれていた。そのため鳥の餌のように見えてしまう。
 何を揚げたものなのかが一目では分からないフライものの盛り合わせ。雑食動物に与える餌の如しだ。
 和定食の出汁巻きから遠くへ来てしまった。しかしこの油を摂取し、カロリーをとることで、昼からの仕事も元気に乗り越えられるかもしれない。何かを食べないと腹がすくので、仕方なしに食べる昼食なのだ。ブロイラーの鶏と言われても仕方がない。
 私はサービスランチを四分の一ほど食べたありで、ギブアップしたくなった。もう、油対策用のキャベツも味噌汁もなくなっている。
 この店に入って来た客も、まだ食べている。彼らと同じように疲れ切った顔に、私もなっているのだろう。
 客の一人がついに立ち上がり、店から逃げ出た。三分の一ほど残していた。
 それを見たもう一人の客も、安堵したような表情で、割り箸を捨て、飛び出した。
 残っていた客も、腰を上げたそうだが、まだ口を動かしている。そして、空のグラスを突き出し、お代わりの水を嘆願している。
 どえらい店に入ったものだと、思慮の浅さを戒めた。あのとき、我慢してでも並んでおくべきだったのだ。あっさりとした出汁巻き卵と野菜の煮付け、そのうえ白菜と大根の漬物、ぐっと胃が締まる赤出し。弱った胃でも、これなら何とか受け付けてくれただろう。
 しかし、体力を付けねばと、私は再びフライものに箸を進めた。これは料理なのだ。それにここは食べ物屋なのだ。残すのは調理人に悪いではないか。
 私は箸の先で、そっと衣を剥がし、中の具だけを取り出した。しかし慌てて衣を被せた。中の具が何かの肉らしいのは分かるのだが、ゼリー状の白い脂身だった。
 私の瞼は脂汗で濡れ、瞬きすると虹が架かった。
 うっとなった私は天井を見た。これがいけなかった。急激に上を見たため、目の周囲に光り輝く宝石のようなものがチカチカと点滅を始めた。
 これを見た後、意識を失うことを私は過去三回経験していた。
 
    了
 
 


 

          2003年5月2日
 

 

 

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