小説 川崎サイト



車内痴漢

川崎ゆきお



「主任、最近は正常ではなかったということで、罪を軽う持って行く輩が多いですねえ」
「で、調書は書けたのか」
「ちょっと、休憩です」
 前田は煙草をふかした。
「取調室の禁煙、何とかなりませんか」
「署長は煙草をやりはらへんからなあ」
「吸ってるの、見たことありますよ」
「しゃあから、自分の禁煙のため署内では吸えんようにしてるんや」
「やっぱり健康が気になるんですなあ」
「で、その精神鑑定必要な奴、何を言うてた」
「新しい駅作ってまいよった」
「確か、車内痴漢やったなあ」
「本人は認めないのですよ。合意だと言い張って」
「合意。それやったら相手は痴女やんか」
「そんなはず、ないですからねえ」
「で、新しい駅とは、何や?」
「四条から乗って、終点の出町柳に行くつもりやったらしいですわ。大阪の淀屋橋発の特急に乗ったらしいです。四条の次は三条、次は丸太町で、次は終点の出町柳」
「なあ前田、わて京都に何年住んでるねん。くどい説明せんでええ」
「奴は見たことのない駅を通過したと言うてますねん。まあ、地下を走ってるから、見間違ごうたと思いますねんけど」
「特急は丸太町通過する。それやな」
「いや、奴は、それも知ってるらしいです。通過した駅は丸太町の次にあったと……」
 主任は前田の煙草を奪った。
「ふむふむ、面白い嘘をつく痴漢やなあ」
「でしょ。嘘やと分かる嘘をつく……つまり、精神的に病んでるというところを汲み取って欲しいという案配でしょ」
「それで、車内痴漢と幻のホームと被害者とはどう繋がるんや」
「繋がりません」
「当然やろなあ」
「奴は無理に繋げなかったのかもしれませんよ」
「それは頭のええ奴っちゃ」
「大学院行ってる奴ですから」
「国立か」
「はい」
 主任は悲しそうな顔をした。
「おまえもわても高卒やなあ」
「学歴と人間性は関係ありませんから」
「そやなあ……わても来年で定年。あとは気楽に暮らせるし、わてのほうが幸せや」
「主任も注意してください。あと少しですから」
「わしは痴漢せえへんわい」
「魔が差すこともあります」
「魔か」
「はい」
「で、その痴漢やけど、犯行を認めへんかったら、面倒なことになるから、はやいとこ自供させ」
「合意というのが、よう分かりませんねん」
「被害者が嘘ついてる場合もあるけど、それやったら痴情関係になるぞ」
「こういうの、裏を取る必要があるのですか。奴がスケベー認めたら、それで和解して終わりですやろ」
「被害者は和解でもええねんな」
「彼女も、こんなことで揉めたくないでしょ」
「痴情関係による怨恨やったら別やけどな。で、ベッピンはんか」
「はあ……」
「どうした前田」
「かなり上玉です」
「年は」
「十九の大学生。国立です」
 主任はまた悲しい顔をした。
「狂言の疑いは?」
「二人で、ですか」
「頭が良過ぎる連中に異常者が多い」
「頭のええ連中なら、そんな馬鹿なこと、せえへんと思いますよ」
「それもそうやな」
「ですが、気になりますねえ……。幻のホーム」
「丸太町と出町柳の間か」
「丸太町駅近くも寂れてますしねえ。駅前と言っても、別に何もないですよ。駅があるだけです」
「旅館が並んでるやろ」
「安っぽい旅館並んでますねえ。誰も手を付けたがらないような一角です」
「わてもあの辺りへは行きとうないなあ」
「そういう問題ではないですが、何となく、怪しい場所です。見捨てられたような場所……」
「駅前でさえそれやのに、その先に駅作っても話にならん。丸太町駅も出町柳まで間が持たんから作ったような駅や」
「じゃあ、取り調べの続きやりますわ」
「害者に弄ばれんようにな」
   ★
 前田は三条から京阪に乗り、出町柳行きの特急に乗った。
 そして目をこらして、地下の壁を見続けたが、あっと言う間に丸太町駅のホームを通過した。各駅停車を待つ客が一瞬目に入った。
 次は終点の出町柳。
 それまでに駅はないはずで、当然ホームも通過しないはず。
 前田は数え切れないほど、この路線を利用している。
 地下鉄はトンネルだ。車窓風景は壁だけ。駅の構内に入らない限り見るべき風景はない。
 地下鉄内の車窓風景は、外を見ているつもりでも、ガラス窓に映る車内を見てしまうことになる。
 前田は鏡のように映らないようガラスドアに顔をくっつけ、あらぬホーム、幻の駅を待ち続けた。
   ★
 警察官による痴漢事件が発生した。主任は、その調書を興味深く読んだ。
 前田まで、そんな嘘の供述をするとは信じ難かった。
 
    了
 



          2003年12月19日
 

 

 

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