洗濯物が干されているシーンを見ると、何か平和な気持ちになる。日常の些細事なのだが、そこで暮らしていることを提示しているような気配がいい。
僕らは裸で生活できないので、衣類を身にまとう。これは皮膚の延長でもあるわけだが、シンボル性も強い。
人間も動物なのだが、生まれたときから衣服を身にまとっていると、裸よりも着衣状態のほうが自然になってしまった。衣服が身体の一部になっているのだ。
その、身体の一部と化した衣服は、たまに洗濯しないといけない。本来の皮膚はお風呂で洗うが、第二の皮膚は洗濯機で洗う。
この図式は案外当たっている。風呂嫌いは、洗濯嫌いと繋がるようなところがある。
干されている洗濯物を見ると、その衣服の持ち主が風呂に入っている姿を想像してしまう。人間の皮膚はすぐに乾くが、衣服はそうではない。このタイムラグが、間が抜けていて平和なのだ。