川崎フォトエッセイ  その235  水道    ←前 →次  HOME

 水道という漢字は「鉄道」や「参道」などと、並べられない。鉄道と参道は、どちらも本当に道がある。問題なのは「道」という漢字で、これが具体的な道も道なら「道を究める」とかの道も道なのだ。また、後者も、決して具体性がないわけではない。

 精神的な意味での「道」も、人間の具体的な気持ちの動き方なので、抽象的だとは言い切れない。

 今度は、抽象的とは何かが問われたりする。まあ、ここで書いている僕の文章内での単語は、一般的な意味から離れている場合もある。人によって言葉の意味やニュアンスが異なる。きわめて乾いた言葉なら、普遍性が高いが、微妙なニュアンスがそれでは伝えにくい。

 さて、水の道だが、これは農水をひく溝なら、何となくイメージしやすい。へこました道なのである。

 見慣れた言葉を、分解するのは、やはりいけないのかもしれない。「水道」という漢字はアイコンだと思えばいい。