何かよく分からない状態に立たされたとき、錯乱し混迷する。その原因の一つが、パターン化されていないものとの遭遇だ。曖昧で柔軟で捕らえどころがない対象に対して、対処の仕方が分からなくなるのだ。
分からないと言うのは一種の不快でもあり、その先の領域は危険だが、成り行きが見えない面白さもある。しかし危険度のリスクを払ってまで、その種の冒険をすると、日常が崩されてしまう。
パターン化されているものには安心感がある。たとえそれ以上の展開が期待できなくても、それはまた別の問題で、日常の中では、パターンに頼らないと、ベースがおかしくなる。
冒険したいときは、日常パターンから離れる。これは覚悟した上での行為なので、混迷に陥っても、ストレスは少ない。
日常の中には、冒険へと旅立てるターミナルが転がっている。それに乗るかどうかどうかは、こちらの事情次第だろう。