同じ行為をしている人を見かけると、親しみを覚えるのは、その行為を知っているからである。当然知るだけではなく、体験しているため、その行為が謎ではないため、安心感さえも覚える。
安心感は、自分だけが「そんな行為」をしているのではないと言うときにも起こる。それらは「同じ」と「違う」の分類で、簡単に分けてしまいやすい。
この種の分類は厳密に、理知的に分けだすと、同じと違うがさらに細分化されるため、結局よく分からなくなる。
日常的には、感覚的に、極単純に分けているようだ。そのため「同じ」とか「違う」とかの言葉さえ浮かばない。
僕は毎日喫茶店で読書している。それを普通の状態だと思っている。そのため同じような客がいる場合、ソファーやテーブルと同じようにその人を見てしまう。
これは同じものに対しては、あまり興味が走らないことの裏返しだろうか。