川崎フォトエッセイ  その384  見た目    ←前 →次  HOME

 人は「見た目」ではわからない。その「見た目」の目は、決して目だけで受け取る情報ではないが、やはり表面的な現れで認識するようだ。表面に出ていないと、そこから先は憶測になり「見た目」の判断よりも誤解度が高くなるかもしれない。

 ある人が、ある行動をしても、その行動の仕方は、他の人とは同じではない。やっていることは同じでも、意識が違うためだ。しかしこの場合も「見た目」は同じなのだ。

 人や場所によって意識が変わる。接し方が変わる。それは個人的な事情に過ぎないが、その事情は第三者は知り尽くせない。

 同じことをやっていても、自分とは異なる場合、その違いに溝を感じる。理屈では受け入れることができても、感情的には拒否してしまうことも多い。

 理解するというのは、感情的にも受け入れられるということだろうか。計算式を解く過程で、その感情が清算されることもあり得る。