川崎フォトエッセイ  その589  虚像      HOME

 何気なく見た路面の模様が、高度一万メール上空からの風景のように見えてしまった。当然、周囲に路面であることを伝えているものが入り込んでいるので、虚像であることははっきりしている。

 虚像であっても、そう見えてしまうその現象は、日常の中では切実なものでなければ、一種の遊びであり、見立てである。

 似ているものを見ると気になったり、意識的になるのは、アクセスする箇所があるからだ。自分の体験なり記憶とかを触発してくれる。当然それは不快なものへのアクセスもある。そして、それがどの箇所へアクセスするのかは意識的ではないようだ。アクセスした瞬間意識的になるだけで、アクセスの瞬間はこちら側では制御できない。

 路面の模様が航空写真のように見えると言う単純で無邪気なものなら楽しめるが、忌み嫌っているものへのアクセスが起こると、不快になる。