川崎フォトエッセイ  その676  足下      HOME

「足下を見られる」と、言うとき、存在的なものを感じる。身体としての足を指しているわけではなく、自分や相手の立場等の情況を指し、しかも、あまりよい視点ではない。

 見られるとまずい「足下」は、隠す方がよいが、自分の情況が必ずしも都合の悪いものだとは限らない。つまり、相手によりけりである。

 足下を見られる次に来る言葉は「つけ込まれる」等だ。これは損をすることに繋がるし、その後の展開上不利になることも含まれそうだ。

 結果的に足下を見せてしまう行動がある。ある行動が、相手を立場上有利にしてしまう。それは、こちらが誠意や親切から発したものであっても、何らかの欠点が、こちら側にあり、それを認めていると解釈されることもある。

 相手の弱点につけ込むのは、戦いなら常套手段だろうが、人と人の関係は、戦いではない。