川崎フォトエッセイ  その940  観賞用変化       HOME

 いつもの通り道を、いつも歩いていると、部分的な変化に気づきやすいが、しばらくその道を通っていないと、全画面の情報がどっと入ってきてしまう。

 何処が変化し、何処が以前のままなのかの記憶が曖昧になる。それが仕事で重要な事柄なら話は別だが、記憶したりメモする必要もない景色だと尚更だ。

 僕がその変化を見ていなくても、その場所は変化し続けている。しかし変化を知るのは僕がいないと分からない。たとえその変化を人から聞いたとしても、聞く側である僕がいなければ、伝わりようがない。

 たわいもない事柄なら、別にその変化を伝える必要もない。だが、その変化しているもの自体は大変なことかもしれない。

 変化することにより、情報を書き直す必要があるのだが、それは自分にとって関わりのある事柄に関してだ。そこから離れたものは、関心を抱かないだろう。

 しかし、単なる変化だけを単に楽しむこともある。いわば観賞用の変化だ。この種の変化は、自分には直接関わらないだけに、安心して変化を楽しめる。