川崎フォトエッセイ  その969  山河       HOME

 山河の風景を見ていると、飽きることはない。それに視覚的にも分かりやすい。空があり、雲があり、山があり、木があり、草があり、川があり、石がある。この種の組み合わせは特別な何かではない。そのため、見やすいのだ。

 住宅地や都心部などが日常の場だと、視野や視線が狭くなりやすい。都心部でも見晴らしのよい場所はあり、視野は広いのだが、自然ほどの伸びやかさがない。ビルが岩のように広がっているとは捉えにくい。ビルや建物は岩ほどの単純さはないからだ。そこに籠もっているものや、思い入れが強いためだろう。つまりは、そこに人間がいることが問題なのかもしれない。それが伸びやかさを殺すことも有り得るのだ。

 ところが山や川には人間の営みと重ね合わせるようなものは少ない。あるとすれば、戦場のあとだったり、火山の噴火や河川の氾濫など天災があった場所だろうか。

 平凡な山は、その山の名前を知らなくても、恥にはならない。それは抽象的な存在ほど、肉迫した感情で臨まなくてもよいのと似ている。