川崎フォトエッセイ  その1498 見える       HOME

 見ようと思えばいつでも見ることは出来るが、ほとんど見ないものがある。それに対し、興味がないとか、見る必要がないためだろう。

 しかし、見ないからと言って、見えない状態にしたり、見えなくなってしまうと淋しい。

 全く見えなくなってしまうと、世界が狭くなるような感じがする。それが必要でないものであっても、見ようと思えば見られるほうが好ましい。

 見ないから、必要がないということで、消してしまっても、実用上困らないはずなのだが、その欠落感を淋しく思うのだ。

 見ようと思えば、どこまでも奥へ奥へ、または横へ横へと広がってこそリアルな世界だ。

 いつもは見ないままのものでも、その気になれば展開可能な広がりがあることは、生きていく上での厚みである。

 現実上で生きる場合、それは限られた選択肢の中での出来事なのだ。

 

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