川崎フォトエッセイ  その1  垣根    次→  ホーム


 板塀を最近は見かけなくなった。夏の日、ブロック塀の前を通るのは苦痛だ。暑くて仕方がない。透き間のある板塀なら、風通しがいい。

 その垣根の向こう側は見えるようで見えない。覗こうとしても、覗いているところを向こうからも見えるので、意外と「覗き」が出来ない。

 僕の子供時代、うちには垣根がなかった。隣の家にもなかった。しかし、庭に何か植えていたので、それが境界線になっていた。隣家の庭で平気で遊んだ。垣根がないのだからそれが出来たのだ。

 塀があると、向こう側を覗きたくなる。子供ならよじ登ることもできるが、大人になるとそれが出来ない。そのため、少し気になる。子供は好奇心を満たすために動けるので、羨ましい。

 隠されていると見たくなるが、そこに秘密基地があるわけではない。普通の庭があるだけだ。

 でも、子供の頃、コールタール黒塗りの板塀があり、黒塀の向こう側から、水しぶきが飛んできたり、派手なニワトリ(チャボだった)が塀の上にとまっていることがあった。

 気になって気になって仕方がないので、よじ登ったことがある。見下ろすと、庭に井戸があり、ポンプが付いていた。井戸から水道へ変わる時代だった。釣瓶で井戸水を汲んででいた僕にとって、ポンプ式の井戸が異様に見えた。

 そこの主人は、そのポンプで汲み取った水を庭にまいていたようだ。そして、チャボの小屋も発見した。

 好奇心を満たした僕は、それで十分満足した。今もこの気持ちは残っているが、なかなか実行できるものではない。それに塀の向こう側はだいたい察しが付くので、興味も薄らいだ。